日本に東京という中央があって宮崎という地方があるように、宮崎にも宮崎市という中央があり、それ以外の市町村という地方がある。そして、東京と宮崎の政治についての立場や意識のちがいは(傾向というほどの意味だが)、ほぼ相似形として宮崎における中央と地方にもある。

宮崎県内における「地方」は、農林業と建設業に依存する地域が多く、保守が盤石。「中央」である宮崎市は、サラリーマンも多いため浮動票が多く、非自民にもそれなりに票が入る。

それでも宮崎県全体でいうと、2003年参院選挙で元自民党県議の松下新平さんが無所属で当選するまで、国会の議席を自民党が独占する状況が長く続き、国内でもこれほど完全な形は稀なほどの保守王国だった。

ところが、今年1月の宮崎県知事選でそれが大きく動いた。東国原英夫氏の当選は、「地方内地方の反乱」ともいうべき前代未聞の現象によってもたらされたものだった。

この知事選は、現職知事と出納長ら幹部の逮捕という、宮崎県民にとってまったく想定外の出来事の末に行われた。東国原さんが、宮崎県知事選か国政選挙への出馬の意欲を持っていると聞いたのは、3年ほど前だったかと思う。当時のぼくの反応は「まさか」だった。 勝つシナリオを思いつくこともできなかった。

そして、告示前に出馬を聞いた宮崎県民の多くも「まさか」だったと思う。現職知事逮捕という、あまりに重苦しい状況を本気で憂いていた友人は、「意欲は聞いているけど、いくらなんでも、この選挙じゃないだろう」といった。宮崎県政が停滞というよりも崩壊して、目の前が真っ暗という中で、どうしてあの人が手を挙げるんだ。県民は、今、もっと真面目で本格派の政治家を望んでいるんじゃないのかと。

ところが、東国原さんは想像していた以上に本気で、真面目であったことが、だんだんとわかってくる。選挙戦序盤、全県的な反応としては冷ややかなものだったと思うのだが、ある公開討論会で明確なビジョンを細かなデータで示し、揺るがない信念をも感じさせて他候補を圧倒して以降は、風が変わった。

この選挙は、自民党公認候補として元通産官僚で、国政選挙に出馬経験もある持永哲志さんが担ぎ出された直後に、元林野庁長官の川村秀三郎さんが一部保守系の支持を受けて出馬を表明するという、保守分裂の形で幕を明けた。

当年47歳の持永さんは、過去二度の衆院選挙を5歳若い古川禎久さんと争い、二度とも敗れている。

東大法→通産官僚という経歴と、その人柄から持永待望論は根強く(古川さんは東大法→建設省)、国政を古川さんに、県政を持永さんに任せれば、この若く有能な二人のどちらもが生かせ、郵政民営化で反対に回って離党した(その後復党)古川さんが現職であるという「ねじれ現象」による、次回公認問題も回避できるという、自民党としては至極穏便で妥当な人選ではあった。

その時点で、持永知事誕生はほぼ確定したと誰もが思ったのだが、川村さんの出馬表明で、本来は、自民対非自民の対決になるはずだったのが、自民A対自民B対その他の人々という図式になったわけだ。

選挙序盤、東国原さんは「その他の人々」に入っており、世間はマスコミも含めて持永さんと川村さんの対決を描いていた。ぼくもこの時点では、そう思っていたし、どちらが通ったにしても後々しこりが残りそうで、困ったものだと思っていた。

現職知事が逮捕されて、予算編成にも支障をきたしている異常事態なのだから、一枚岩になってやるべき仕事をやってほしいと。 もう政争はこりごりということもある。

ちなみに民主党は、独自候補の擁立もできず、かといって自民公認に相乗りもできず、苦しまぎれに連合に乗って川村さんを支持という、自主性もなにもないありさまだった。まあ、それほど保守が強い地盤だとはいえるのだけど、もう少しわかりやすい図式は示せなかったのかと思う。

中盤、川村さんがややリードかという報が流れてきた。都城市出身の持永さんは、将来を嘱望されているホープではあるけれど、全県的にはもう一歩浸透しきれない。一方、元林野庁長官で中央にも顔がききそうな川村さんは、出身地域からは遠く離れた県北部や中山間地でも有利に展開していた。

突然、「東国原氏リード」と新聞で報じられたのは、投票日も間近な頃だったと思う。もう「まさか」とは思わなかった。あの討論会の様子をみると、あり得ない話ではないと思っていた。保守が分裂したことも、もちろん幸いしている。それでもやはり、これは「地方」では相当なことが起こっているなと想像できた。

県内の市域の得票を見てみる。

東国原英夫 川村秀三郎 持永哲志
宮崎市 81992 69324 23747
都城市 36830 13560 35024
延岡市 33071 19524 9456
日南市 11033 6913 5466
小林市 9192 6850 5216
日向市 16072 10461 4680
串間市 4500 3213 4394
西都市 7856 7230 2424
えびの市 4966 4025 4223
市合計 205412 141100 94617
県合計 266807 195124 120825

それぞれの出身地は、東国原さんと持永さんが都城市、川村さんが宮崎市の隣町の綾町。だから川村さんは、宮崎市は準地元ということができるし、戦前の予想で支持者が多いといわれた小林市も準地元という位置づけになっていた。川村氏リードの根拠は、大票田である宮崎市を押さえた感触をマスコミがつかんだこともあるだろう。

ところが、その宮崎市で東国原さんが勝ってしまった。地元の都城市では、持永さんときれいに票を分け合っているが、ここでは、前回衆議院選挙をライバルとして争った現職の古川禎久さんが、公認ということで応援に回っている。本来は、持永さんと古川さんの二人分の票が持永さんに入らなくてはならなかったのだが、本人同士の約束は本物でも、現場はなかなかそうはいかないということが起こったのだろう。

小林市でも、川村さんが2位に沈んでいる。古川さんの地元の串間市でも本命の持永さんを、東国原さんが押さえてしまった。日南市は、もともと都城出身の候補には票が出にくいところといわれ、杉の一大産地であることから、林野庁出身の川村さんで盤石といわれていたが、東国原さんが圧勝している。

いったい、この票はどこから出てきたのか。地元で選挙に関わった保守系の人たちが、開票速報を見ながら、背筋を寒くしたことが想像できる。

まったく読めないところから票が出てきてしまっているのだ。

保守系の県議、市町村議員、各首長は、分裂のあおりを受けて一枚岩とはなれなかったものの、持永さんか川村さんを支持し、それなりに動いていた。知事という絶大な権力者につながるかどうかは、それぞれの政治家のみならず、その町にとっても大きなことだ。その両方がともに敗れてしまったという事実。そして、県内9市のすべてで、東国原さんが1位となってしまったという事実。

彼らからみれば「ノーコントロール」の層が、市域有権者のほぼ半分を占めている。都城市をのぞく「地方」で表だって東国原さんを応援していた人はごく少ない。おそらく、地元の誰かに投票を頼まれ、「私は川村さん」「私は持永さん」と意思表示をしていた人の多くが、投票箱の脇まで来たところで「東国原英夫」と書いていたのだろう。

この日、宮崎で静かな大反乱が起こっていたのだ。