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『渚にて』(スタンリー・クレイマー監督/1959)。
原作は、ネヴィル・シュートのSF小説。吾妻ひでおの「不条理日記」の読者なら、「渚でさなぎに大当たり」という一コマでご存じと思う。ご存じじゃありませんか。
時は1964年。核戦争後の世界。人類がほぼ全滅した中で、南半球にあるオーストラリアの一部だけが破滅を免れているが、数ヶ月後にはそこにも放射能が押し寄せることが予測されているという設定。
そこへ行き場を失った米海軍の潜水艦長、グレゴリー・ペックが寄港し、プレイガールのエヴァ・ガードナー、破滅型の科学者、フレッド・アステアという、どうも普通には絡みそうもない人たちが登場する。
わずかな希望を託されて、放射能調査に出かける潜水艦。やはり状況は絶望的で、寄港したサンフランシスコも無人。唯一、モールス信号を打電していたサンディエゴに、防護服を着込んだ乗組員が上陸してみると、打鍵器の上でブラインドに引っかかったコーラの瓶が風に揺れている。
生き残りが暮らす町では、自殺用の睡眠薬が配られ始めるが、クリスチャンたちは街頭に“There is still time… brother.” の横断幕を掲げて集会。「まだ間に合うぞ、時間はあるぞ。どどんがどん」であって、そういうものが間に合ったためしはないので、集会も日に日に人数が減ってゆく。やがて、米海軍壊滅により、潜水艦長から司令長官に”昇進”したペックは、帰国命令を受けて、放射能の満ちた海を無人の母国へ帰っていく。
というようなお話。人々のあまりに従容とした死の受け止め方に、もうちょっとシェルターを掘るとか、それを奪いあうとか、収奪だのご乱行だのといったジタバタがあろうほどに、などと思わないでもないけれど、1959年という時代、この映画の怖さは万人が共有したことと思う。
4:3の白黒映画だけど、その映像の美しさに感心。きめの細かい、ディテールや質感をよく映し出す画だった。特に冒頭、コーヒーを淹れるポットの金属の質感に驚いた。音声はモノラル。