冬のリハビリ
昨日で、150日間の満期ということで、リハビリが打ち切られてしまいました。去年から、そういうことになったそうです。まだ右手は90度しか上がらんちうに。
ぼくのような単なる怪我でも150日ではどうにもならないのに、脳疾患関係などさらに重い症状の人たちには、ほんとうに深刻な話。この分野は、直接的な治療というほかにも、動かさないと麻痺に陥る可能性のある人にとっては、予防的な療法としても意味があるのに、そういうこともできなくなったらしい。
「年寄りが用もないのに病院にきて、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、無意味なマッサージを受けている。そういうものを保険でやる必要があるのか」などという、氷のような視線を感じて仕方がない。こういう人を思いやれない国を、どう愛せというのか。愛国よりも、君らに必要なのは天を敬い人を愛する心だろう。などと、筋違いの怒りを政府関係者に向けたくもなるわけです。
ま、いっぺんリハビリを受ける立場になってみるとわかるのですけどね。治療を受けながら、療法士とぺちゃくちゃおしゃべりをする。それだけで治りは早くなります。複雑な技術や機械を用いなくても、数十分間、手で触れてもらう。それだけでも、怪我は治っていきます。高齢の方なら寿命を延ばす効果すらあるにちがいない。リハビリとは、本質的にそういうものであることが、今回わかりました。
よい療法士は、接し方が温かく、患者のおしゃべりによくつきあいます。だから、信頼が生まれ、少々痛いこともきつい運動も乗り切ることができる。薄紙をはがすような遅々とした治癒への歩みを、ともに歩いてくれるパートナーでもあるわけです。自然治癒力を手助けする医療。薬や機械や手術を補う有効な仕組みとして、ようやく定着したところだったのでしょう。
残された道は、ハリとか整骨院ということになるのですが、これらはやはり本丸としての病院があってのもので、病院がまったくタッチしない中で、そちらに投げるというのは怖いことです。何しろ、(ハリなり整骨院なりの方法でしか)診断をすることができないのですから。
いわば、病院ではこう診断して、こういうリハビリをやってきたんだけど、150日たったから、そちらでよろしく。レントゲンもMRIもなくて大変ですね。という話なわけです。ぼくなど、まだ抜釘もすんでいない状態で、身をまかさなくてはならない。その彼らは、ぼくの体内の釘の状態がどうなっているか、確認する方法もない。まして手術をしているために、ハリは治療を断られる可能性が高い。経絡がおかしくなるらしいのですね。
こういう、一人、野におかれたような状態を、たとえば麻痺をもつ高齢の方が耐えられるのかどうか。その心のよるべなさは、誰がどうケアするのか。日々、筋肉の拘縮や痛みが進んでいく体を、誰が看てくれるのか(ぼくですら三日リハビリに行かないと右上半身が左側によじれてしまう)。それは医療の範疇ではない、という結論が昨年の法改正だったわけです。ひどい国になってしまったと思います。