拓郎&かぐや姫 in つま恋 2006
こりゃ、やっぱり何か書いておかないと、ということで書く。
まず、1975年のライブは、それに行けなかったことと、友人がリュックを背負って列車に乗って、あのかんかん照りの現場にいたということの2点でもって、ぼくが初めて「時代」というものを、それに取り残されたという負い目と焦りをもって感じたライブなのだった。
時に高校1年生。今思うと、鹿児島からわざわざ出かけていくやつがえらいのであって、それに行けなかったからといってくやしがることもないのだが、やはりくやしかった。こんなことは二度とないんだと思っていた。実際、その後なかったから、伝説になったわけだ。
福岡にいたころ、「流行遅れのかぐや姫バカ」の一群を、RKBと呼んでいた。地元のRKB毎日放送に由来する。ぼくも、その末席くらいにはいた。今でも、たいていの曲は弾けるし、2週に一度くらいは、どこかの飲み屋でギターを弾いて歌っている。あるいは人の伴奏をして酒を飲んでいる。
だもので、時代感というものを感じなかった。でも実際にはかぐや姫は3年ほどしか活動をしていない、ほんとに夏の夜の花火みたいなバンドだったのだ。今、あの偉大な伊勢正三の、あの声に、何かが変ってしまったことを感じざるを得ないわけで、またそれを「温かく」受け止めることができるほど、ぼくにとってかぐや姫は過去ではなかった。ちと、つらい。おれが代わって歌ってやるぜといって、何度か代わって歌ってやった。
拓郎は、じっと観ていて気づいたのだが、よく考えてみると拓郎のライブ映像を、こんなにじっくり観たのは初めてなんじゃないかと思う。ぼくの拓郎は、どうもエレック時代のLPレコードの拓郎なのだ。あんな風に歌ってたんだと思った。現役感もなにも、今、この時点でも拓郎は拓郎であって、あの会場でひたすら、たくろーっと叫んでいた人々の気持ちもよくわかる。恥ずかしいが同感なのだ。
拓郎はああやって、日本中の頼りなくよるべない怒りと焦りの中にある、若者たちの怒声と歓声を一身に浴びて、拓郎であり続けてきたんだろう。そういう客の側の自我の未熟さと、それを無責任に偶像にぶつけていた青さを、今、気恥ずかしさをもって振り返る。ぼくも未熟で気恥ずかしい若者だった。今だってよけい変らない。
それにしても、拓郎だ。小学校の先輩で「夏休み」の原風景を共有したなんて、ちっぽけなことではなくて、今、この時代の拓郎をもっと観たいと思う。日本中のミュージシャンが、今夜の拓郎には嫉妬したんじゃないだろうか。