ひろすけさんにむけて、Uコンのお話をば。

中学生になって、何が人生を変えたといってUコンとの出会いほど大きなものはなかったわけであります。子供の頃、家が雑貨・お菓子屋兼貸本屋を営んでいて、お菓子と漫画という子供の二大物欲が常に満たされた状態にあったワタシは、ほんとに欲というものがない少年でありました。

まあ、あの頃の子供は、憧れといえばブリジストンのヤングウェイパルスなどというフラッシャー式方向指示器がついたバブリーな自転車だったり、とりあえずレコードが聴ける装置だったりしたわけだけれど、まずたいていの家はそんなものは買えず、当然うちも買うことなく、ほかの少年たちと同じように、ぼくもまあ、ほしいけど無理だな、くらいですんでおりました。

今思い返しても、あの頃ほしかったものがなんにも浮かばない。毎日、暗くなるまで遊びに遊んで、長嶋茂雄じゃないけど、ボールに石灰を塗ってでも遊ぶというくらいに遊んで、帰ってご飯を食べながら寝てしまうような日々。子供としては文句なく満ち足りていたのでありましょう。

で、初めて、モノがほしいと。強烈にほしいと思いつめたのがUコンの機体とエンジンでありました。そのため、中学1年生のワタシは新聞配達など始め、寒い朝に自転車をこいで、時々寝坊して店の親切なおじさんに迷惑をかけつつも、とうとう買いましたですよ。忘れもしないFujiの09エンジンと、ファーストという機体のキットでした。

機体は、当時(1973)、ラジコンの曲技飛行で日本人初の世界王者になった吉岡嗣貴氏の愛機『ブルーエンジェル』にあやかって、同じように赤・青・白で塗り分け、それは立派なものに仕上がったわけです。『ファースト』は、たしかOK模型という会社のキットではなかったかな。

エンジンのブレークイン(ならし運転)は、自宅でやっていてはうるさかろうということで、板を切ってマウントとなし、それを自転車の荷台にくくりつけて、エンジンをかけたまま近所を走り回るという荒技にでましたが、そちらの方がよほどうるさかったでしょうな。何しろ13の子供ですから、知恵といってもそんなものでした。

寒風吹くさなかに、ペラではたかれた指の傷口にアルコール燃料がしみたこと。ヒマシ油が燃える匂い。ふるえる足でサークルまで歩いた初飛行。初めてのタッチ・アンド・ゴーとウイング・オーバー。アスファルトに激突してカットモデルみたいに割れたエンヤの15エンジン。ほかに誰も使う人がなかった農事試験場の芝生のグラウンドと青い空。

バルサと木工ボンドで過ごした、あのあまやかな時間を忘れることができませぬ。そうやってバルサとたわむれている時にかたわらで流れていたコッキー・ポップが、またその後の人生を、ちょっとだけ変えるわけであります。

一昨年だったかな。Yahoo!オークションで、当時友人の愛機だった『パンダ』が売りに出ているのを見つけて、横浜に住む彼に送り、自分のためには、ぼくの夢の原点だったFujiの09エンジンを買いました。届いた時には、涙があふれましたです。