2005年7月 7日

映画>愛のために殺すな

何度も書くようだけど、ぼくはほんとに映画オンチであり、これまでほとんど映画を観てこなかった。いい時代でDVDやビデオがレンタルできるので、それでようやく最近、ぼつぼつと観始めている。

今日は2年ぶりくらいに映画館に行った。自分でも忘れていたけど、以前『コレリ大尉のマンドリン』を観にいったのだった。それも誘われて、なんとなくだった。大体、ああいう悲惨に人が死ぬ作品は嫌いだ。二度と観たいとは思わない。

死ぬならジョン・フォードの西部劇のように景気よく、ろくに血も流さずに形而上学的に死んでいただきたい。今のように撮影技術が進歩した時代に、リアルに死なれては困る。今日の『ミリオンダラー・ベイビー』などもってのほかであって、あの女の子が死ななくてはならない理由は、イーストウッドが提示したかった『愛』でしかない。

人が死なないと形にならない愛というのは、つまり70年代日本ドラマにおける白血病とか記憶喪失のようなもんであって(まだやってるようだけど)、作り手側のセンスが悪いか了見が悪いか、そのどちらかだ。けらけらと笑いながら、しばらくたってから心の奥深いところから熱くなってくるような、たとえば志ん生の噺などに比べれば、あきらかに不粋な芸である。

女の子が頚椎を折り、入院したシーンで、そそくさと帰ってしまった人が3人いた。彼らはまったく正解だったと思う。話がちがうじゃんかよ、と抗議する権利は客にだってある。あれは「ビリー・ワイルダーがヒラリー・スワンクを使って『娘ロッキー』を撮ったらどうなるか」というノリで作ってくれた方が、お互い、よほど幸福というものだ。

監督のメッセージが不要とは思わないけれど、ぼくにはそれをやるにはイーストウッドの力不足に思えた。メッセージより何より、悲惨さと不条理感だけが残る。つまり消化不良だってことだろう。いっそ鈴木清順でリメイクしてほしいくらいのもんである。

口直しに明日にでも『戦国自衛隊1549』を観に行こうと思っている。これならいくらハズしても大丈夫だろう。

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