3月11日(金)、午後2時45分頃、東北地方で最大震度7の地震が起こった。震源は三陸沖でマグニチュードは8.8(後に9.0に訂正)。歯医者の受付をすませてソファに座ろうとしていたところで、患者や医者の静かなどよめきが聞こえた。ちょうどテレビが宮古市に津波が押し寄せるのを映しているところだった。

その波を見た時に、これは数千人単位の犠牲者が出るのだろうなと感じた。そして窓の外を見る。宮崎も土地は低い。ぼくの家も海抜2mしかなくて、家を買った時から津波へのシミュレーションは、いつも頭の中にあった。過去、何度も起こっている日向灘地震や南海地震が起これば、おそらく宮崎港に寄せた津波は、新別府川の堤防を乗り越えて、まっさきにわが家を襲うのだろう。2005年の14号台風の時も、避難指示が出ていた。

治療を終えてテレビを見ると、さっき津波注意報(高さ0.5m)だったのが、津波警報(高さ2.0m)に変わっている。津波が小さな新別府川を遡れば、4mにも5mにもなるかもしれない。そうなると最悪、堤防を越えてしまう。

オクサンに電話するが出ない。しばらく待って再度かけると、掃除機をかけていたので気づかなかったという。

「テレビ見てるか」
「見てない」
「東北で震度7の地震があった。宮崎にも津波警報が出てる」
「そうなの」
「子供が帰ってきたら家にいるように言ってくれ」
「夕方からサヤカは塾だし、アリサは買い物に行ってるし、送り迎えとか、役員会とかいろいろ忙しいのよ」

女というものは日常に固定される生き物であるので、不測の事態への対応がワンテンポずれるのは仕方がない。向こうに言わせれば、こちらが取り越し苦労の心配性だということになるのだろう。腹立たしいのだが、それで調和がとれているのだと最近は思うようにしている。

家に帰ると、まだサヤカを塾に送るつもりでいた。

「今日はもういい。家にいなさい。塾にも電話すること」
「警報が終わってからなら、いいんでしょ」

津波警報がそんなに早く終わるかと思ったけれど、よけいなことは言わない。石のように日常にしがみつく気なのだ。こっちは、ライク・ア・ローリング・ストーンなのだからな。いってみれば、軽石とミカゲ石くらいの差があるので、折り合う見込みはない。昔なら強権を発動するところだが、そんなことをしても解決にはならないこともわかっている。

「アリサはどうした」
「まだ帰らないよ」

しばらくしてアリサから電話があり、イオンの屋上に退避させられて、家に帰れないとのこと。ずいぶんたって、暗くなった頃に、一人で歩いて帰ってきた。まだ屋上には人がたくさん残っている中を、係員が止めるのを無視して、ずんずん歩いて2Fを突っ切り、非常階段をどんどん降りて帰ってきたという。この子も、言い出したら聞かない子なのだ。

それからずっと、テレビでは地上波全チャンネルで24時間、地震のニュースをやっている。今日の段階で死亡・行方不明者は1700名超。おそらく犠牲者は万の単位になるだろうということも言っている。道路が寸断され、地域が壊滅し、電話もできないため、中には「市」がまるごと消滅しながら、まるで情報が伝わらないところもあるらしい。

そして福島では原発が2基、深刻な状況にある。もはや、日本人はほとんど未知の領域に置かれているのだろう。これから、どんなことが始まるのか想像もつかないけれど、被災地でも被災地でないところでも、人は、おおむね冷静で優しいようだ。その優しさが、かえって痛ましく思える。