ここ10年かそこら、夢は現実化するんですよー、といったようなポップな哲学?がさまざまな書籍や手帳やテレビ番組になって、それがまた毎年のようにバリエーションを生み出して、最近では「引き寄せの法則」なんてのがブームになっていたりする。

悪いことではないんだけど、どうもどこか無理をしてるんじゃないかという気もする。たとえば、夢に日付をつけろという。10年後に自分で起業した会社を上場する、なんていう夢を実際にかなえた人もいるのだから、そういう人の話を聞くのはきっと有益にはちがいないのだろうけど、その10年後の自分のあるべき姿から、時間を巻き戻して微分していけば、今日、本日何をなすべきか明確になるであろう。だから、ほれ、今日からそれをやりなさい。向かっていこうではありませんか、あなたの夢へ。

なんという教えは、どうもどこか人間的ではない。そういうメソッドもあるのかもしれないが、「自分」てものが、そうやすやすとコントロールできるものなのかなと。

一方で、夢というのはかなわないから夢なんだろうと弱気なことをいう人もいる。こういう人にとっては、たぶん夢はかなわないのだろう。というか、夢そのものを持ち得ないのかもしれない。人は自分の思う通りの道を生きるというのは、こういう場合、残念ながらゆるぎない真実のような気がする。

夢をイメージという言葉に置き換えてみると、人は自分のイメージ通りの人生を送るが、それはネガティブなイメージほどそうなるともいえる。どうも、ポジティブな力よりも、ネガティブな力の方が強い。これは、困ったものだと思う。

だからといって、なんでもかんでもポジティブに考えようとして、目の前の現実から逃げているような人もいる。これはこれで、また困った話である。夢の見方を間違っているのではないか。

夢が現実化するというのは、どの程度真実なのかわからないが、ポジ・ネガ含めてその人が自分や自分の未来に対して抱いているイメージは、相当な確率で現実化する例を、これまでたくさん見てきた。昔は夢もあったけれど、年々、現実に侵食されてきてねー、などと聞くと悲しい。

夢と現実を対比させることで、自分の現実をネガティブなものとして定義してしまっているので、どこか逃れられない沼にはまってしまっているように思える。つまり、夢という言葉を聞くたびに、自分を狭くて苦しい隅っこに追いやってしまっているのではないか。夢と書いて、リアルとフリガナをつけるくらいの図々しさも大事なのではないか。

ひとつだけ、はっきりといえるのは、見ない夢はかなわないということ。夢をかなえようと思えば、夢を見なくてはならない。夢という言葉に抵抗があれば、先のようにイメージといってもいい。これをやりてえなあ。でもいい。やりてえなあと思っていれば、やりてえことが出来ていくためのタネが、案外そこらに転がっていることが見えてきたりする。

昨年の今頃、ラスベガスで開催される世界最大のフィッシングショー「ICAST」に、見物ではなく業者として出展できるようにならんかなあと考えていた。考えていたというより、漠然と夢見ていた。具体的なプランは何もない。

その直後に、国内のフィッシングショーへの出展が決まり、大阪で行われたイベントの初日に、アメリカの大物バイヤーから声がかかった。「お前さんたち、これをラスベガスに持ってこないか」と。

夢のような話であるが、実際のところ、どうなるかわからない。夢のような話というのは、夢のような話で終わることも確かに多い。でも、ひとつの夢が、とりあえず夢のような話にまで育った。もし、今年の夏に自分がラスベガスのコンベンションセンターに立っていたとしたら、何かひとつのことを証明できたということになるのだろうか、ならないのだろうか。

とりあえず、見ない夢はかなわない。ずっと夢見ていたことでも、それがかなうまで何十年という時間がかかるものもある。WEB魚図鑑のこと、釣りフォーラムのこと、まだまだ、ぼくの中には夢がある。夢を見続けていくことが、自分のひとつの仕事のような気がしている。