映画>20世紀少年(2)

『20世紀少年~最後の希望』および『20世紀少年~もう一つの第2章』
というわけで、20世紀少年の第2章を映画版とテレビ版の両方、観てしまった。どうもまともに巻き込まれてしまっているのだが、もともと原作コミックすら知らなかった私が、なぜ、どうやって巻き込まれているのか、よくわからない。まあ、T.REXのことはあるにしても。
私がこうなるくらいだから、世間では相当ブームになっているはずなので詳細は省く。ざっといえば、第1章のモチーフになっていた昭和40年代へのノスタルジーが、第2章ではやや狂気の方に傾いていって、全体に暗く、重たい方向になっている。まあ、それも、しんどくなる手前で踏みとどまってはいる。
で、主人公のケンジ、オッチョ、ヨシツネらが、私とまったく同年代であることを知った。1959年4月~1960年3月に生まれた組である。だから、たとえばヨシツネが運転するクジラのクラウンに対する、われわれの世代の感覚や、あの万博の騒ぎが、妙にリアルに蘇ったりする。
三丁目の夕日シリーズで描かれた昭和30年代へのノスタルジー。それをそのまま40年代に持ってこれないのは、高度成長の先にあるものへの、なにがしかの予感が時代を覆っていたこともある。
行き詰まりつつあった学生運動や、ひどくなるばかりの公害、なし崩し的に延長された70年安保なんてキーワードをすぐ思いつくわけだけれど、時代の底の方で、不気味な何かがうごめきつつある感じはあった。自分自身のことをいえば、あさま山荘事件の様子をテレビで見た日から、世の中の様子がちがって見えてきたことを思い出す。あれは、おそらく子供時代が終わった日だったのかもしれない。
この映画が私に与えた影響として、例の「ともだち」の声がある。「ぼくだよ。ぼくが、圓生だよ」などといいつつ、運転中の交差点で笑い転げたりしている。