日蝕ライブな午前10時58分
46年ぶりの皆既日蝕だというので、ちと気にはなっていたのだが、なんでもトカラにツアーに行くと船中二泊テント二泊で30何マンだとかいう話でもあり、さらに宮崎でも96%の部分日蝕は見られるということでもあったので、まあ、4%くらいはまけてやって家で見ることにした。
とっくに梅雨明けしているにもかかわらず、予報は雨のち晴れというもので、この時点ですっかりやる気は失せていたのだが、午前10時50分頃になると、あたりがなんだか薄暗い。テレビをつけてみると、すでに悪石島では夜のような闇につつまれており、これは相当びっくりした。
さらにチャンネルをNHKに変えると、太平洋上の船からと、硫黄島からのハイビジョン実験放送の二元中継をやっていて、これはまた、さらにものすごくびっくりした。あんな風になるのだなと。
ふと、ここで思いあたることが二つあった。
大体、日蝕が太陽に月がかぶさってできるものであるのはいいとして、「なぜ、太陽と月が、あんな風に同じ大きさに見えるのだ」というのは、今もってわからない。偶然といってしまえば偶然なのだが、1392000kmの直径をもつ太陽と、3476kmの直径しかない月が、どういう偶然に頼れば地球から同じ大きさに見えるのだ。
どちらかが、うんと大きいか小さいかすれば(そちらの方が、むしろ確率的に、かつ圧倒的に自然なのだが)、コロナもプロミネンスもダイヤモンドリングも見えたりはしないのだ。
もうひとつ。
これは、当たり前の連想なのだが、今の今まで気づかなかった。あれは、天照大神の岩戸隠れそのものじゃないかと。きっと、5世紀かもっと以前に、日本のどこかで非常に印象的な皆既日蝕が起こって、大変なさわぎとなり、まず、何かのタタリであるとして、そのタタリの原因に出雲神の祖であるスサノオノミコトを引っぱりだした。
古来、日本の神というのは、タタリ神ほど厚く祀られることになっているわけで、被征服?民族である出雲の神が、大和一ノ宮である大神神社に祀られているのは、そういう事情もある。ように思う。
同時に、高天原では八百万の神々が神集って、わいわい騒いでいるうちに、突然訪れた暗闇に舞い上がってしまったアメノウズメが、きゃほーなどと叫びながら衣類を脱ぎ捨て(何しろ暗闇だから恥もなにもない)、あたりを走り回った。
そのうちに日は復し、天照大神は再び世を照らしはじめ、裸で残されたアメノウズメは、そのはしたなさを責められるどころか、あなたの舞いは、実に非日常を現出したという点で神にも届く芸術であった。天の日を復したその熱をこそ、誉めたたえねばなんない。ということで、岩戸神楽が起こったと。
そういうようなことがあったにちがいないのだった。
さらにもうひとつ、思い出した。歴史上、稀にみる暦おたくな民族として、マヤ民族があるわけだが、彼らのいくつかある暦の中には、日蝕や月食をかなり正確に予知したものがあるらしい。
わが情熱の岩戸神話と比較して、なんという科学的冷徹さであろうかと思う。