ヤッターマン

おそらく、ぼくらリアルタイム世代にとって、タイムボカンシリーズというのは、今の子どもたちが名探偵コナンを追うほどの熱中もなく、あるいは団塊の世代が平凡パンチを思うほどの郷愁があるわけでもなくて、何気なくそばにあったものが、ふと気づいてみると、たしかに自分たちの時代を語る何かであったのだというような、そんなものなんだろうと思う。

いつの時代にもマニアはいるので、タイムボカンシリーズのマニアも、たしかにいたように思うのだけれど、当時のマニアというのはほんとのマニアであって、いわば日陰者としての自覚があり(これがないマニアは気持ちが悪いというような感覚は、今でもある)、うっかり身分を明かすようなことはしなかった。

大体、70年代前半から半ばというのは、まだアカデミズムや政治や芸術といったものが、大手を振って歩いていた時代であって、そんなさなかに、いい若者がタイムボカンシリーズを、人並みならぬ興味をもって見るなどというのは、とても口に出しては言えないようなことでもあった。ように思う。

そんな作品が、今になって実写版で出るというのは、マーケティングの成果か、作り手の思い入れか、その両方かなのだろうけれど、なかなかいい狙いではないかと思う。それにあっさりと乗っかって、めったに行かない映画館に、いそいそと出かけていった。

何にひかれてワタシが映画館に行ったのか。ひとつには安心感だろうと思う。もとがタイムボカンシリーズなのだから、どんな馬鹿映画に仕上がっていても許せる、ということもある。原作は、決して人を傷つけない、史上最高に脳天気なアニメなのであるから、それに匹敵する脳天気さを実写で出すのは無理としても、やはり決して人を傷つけないものにはなっているだろうということ。

出来の悪い映画は、人を傷つける。『ローレライ』はワタシのトラウマであり、『ミリオンダラーベイビー』は、ここ数年消えない悪夢だ。そういう心配は、100%ないだろうということ。

で、実写化で避けて通れない問題の、典型的な例として深田恭子のドロンジョが、ちとあまりに重量級のゴージャスボディであったことがあるのだが、それはそれとして。ほかにも、実写化の問題は数々あったのだが、すべて、それはそれとして。といえるものだった。むしろ、実写のハンディを逆手にとった、いい演出だったともいえる。

ただ、原作の軽みは、もう少し表現してほしかったな。少し、現代風に流れがくどいところがあった。また、案外、笑いの少ない映画だったかもしれない。爆笑させるのか、くすくす笑わせるのか、どっちつかずのところがあったように思う。

今風の、微妙な笑いを狙ったのかもしれないけれど、微妙な笑いというのは、実はあんまり…まあ、野暮はこのくらいにしときましょ。

この作品を実写で作るというアイデアだけでも、非常によろしいかと思います。