ギターのことでも
早起きしちゃったので、ギターのことでも。別に夜明け前からギターのことなんか考えなくてもいいんだろけどさ。
泊まりの宴会などでギターを持ち込んで、みんなでわあわあやるというのは、ギター弾きにとってかなりうれしくも楽しいことなのだけれど、そういう時に困るのが、たいてい誰かから「いつ頃からやってらっしゃるんですか」というような質問を受けること。先様は、基本的に好意をもってそう聞いてくれるのだけれど、そのたびに困惑している。
「えー。いつ頃からって。始めたのは高校1年の時だけど…」
この「…」の中に、いかほどの困惑があるか、ギター弾きならわかってもらえると思う。たとえばポール・サイモンの「Anji」なんかやると、初めて聴いた人はたいてい驚いてくれる。ぼくもひったまげた。で「高校1年から」と聞くと、ああなるほど、というような顔をされるのだけれど、でも、これは別に15の年に誓いを立てて、それから営々30年の研鑽努力の末に弾けるようになった、というようなものではないわけで…。
はっきり覚えてないけれど、17くらいの時にやりたいなと思って、楽譜もなかったので耳コピーとか、たまたま一部を弾けるヒトの指を見ていて、18の時には弾けていたと思う。技術的には、別にどってことない曲でもある。いや、そりゃ「ちゃんと」弾こうとすれば途方もなくむずかしくて、まだ全然ちゃんとは弾けないんだけど。
で、現在ぼくが弾ける曲の大半は、19歳くらいまでに覚えてしまったもので、あとはまあ、なんというか、ギターを弾いているというよりも、指ぐせとしてやっているというのが近いと思う。ギターを持てば、自動的にやっちゃう曲があるじゃないですか。ぼくの場合、それは「マイ・クレオル・ベル」だったり、「六番町ラグ」だったりするわけだけど。
ただ、不思議なもので、そういう全自動洗濯機みたいにフルプログラミングされた指の動きに身をまかせているだけの、何の努力も進歩もない原生動物的反射運動的ギター弾きにとっても、時々、飛躍の瞬間というものがあって、それには大体、二つのパターンがある。
ひとつは、リズムのノリに関することで、CDを聴いている時ではなくて頭の中で音が鳴っている時に訪れることが多い。「あ、そうか。あのタメは次に続くあの音を出すためにやってたんだ」とか、「うわ、こんなノリの曲だったっけ。やってみよ、やってみよ」というわけだ。
何しろリズム感というのは天性のものなので、天才は初めて聴いた瞬間に体でわかってしまうのだけど、ぼくのような凡人は、それがワカルまで何年もかかったりする。こればかりはどうしようもない。
飛躍のもうひとつは、非常に抽象的な言い方になるけど、音楽性に関すること。音楽性ってなんだと言われると困るけど、「ありゃー、こんなに弾いて楽しい曲だったかしらん」という瞬間が訪れることがある。それは、大体、楽器が変わった時。いい楽器は最良の教師だと、誰も言ってなければ、ぼくがここで言うわけだけど、残念ながら音楽の楽しさや深みを味わう水準は、使っている楽器に「あるところまでは、原則として」比例する、といえてしまうと思う。
例によって天才はのぞく。凡人にとっては、という例を出すのに、ぼくくらいふさわしいニンゲンもいないと、これまた残念ながらそう思う。