映画>竹山ひとり旅

『竹山ひとり旅』(新藤兼人監督/1977)。
全編、これ地吹雪の中を三味線を背負ってさまよい歩く高橋竹山。という映画である。いや、もちろん映画の中には春もあり夏もあり、喜びも出会いもいろいろあるのだけれど、つまり人生というものは地吹雪の中をさまよい歩くようなものなのだなあと。
冒頭、竹山本人の言葉と三味線で始まるのだけれど、その三味線の音の力強さと深みに驚いた。オーディオ的には、音なんか割れているのである。ブルーノートに無理やり録らされたゲルダーの録音みたいに。あるいは、いかにも昔の映画の音質とでもいうのか。
しかし、その音の力強さは比類ない。手元にある竹山のCDの音など、これに比べればセミの抜け殻というか、お茶の出しガラというか、なんの躍動感も光もない。いい音ですらない。『丹下左膳』を観た直後で、非常にハッピーな気分だったので、「うう、重いかも。明日にするかな」とリモコンに手を伸ばそうとしたところ、この音に殴り倒されて、そのまま観てしまった。スーパースワンは、こういう時には魔物になる。
竹山役の林隆三の胴間声に、最初はちょっと辟易するのだけれど、竹山にだって若き日はあったわけだし、映画が進むにつれて演技はどんどん良くなる。圧倒的に凄くておかしいのは、母親役の乙羽信子で、このお母さん、放浪する竹山を心配してどこにでも現れる。現れちゃ、「サダゾウ、アッパ(母)だ。何してるだ、お前」と呼びかけるのだ。その巨大な愛。
このお母さんを含めてこの映画、女が良い。竹山の妻たち、旅先で出会う女たち、みんな良い。美人だしキャラも立ち、それぞれにそれぞれなりに優しく強い。
ディテールもしっかりしていて、旅の空で寝泊まりする、たとえば浜辺の廃船の下とか漁師小屋のリアル感(本物だけど)。ヒトビトの服装。旅芸人たちの装束。気のあう殿山泰二との幸福な二人旅で、葉っぱに盛ってメシを食べ、空き缶で汁を飲むシーンは素晴らしかった。少しもみじめではない。あんなに幸せそうにメシを食うシーンは、ひさしぶりに観た。
それにしても、津軽という土地。この圧倒的に厳しい土地に生えた、この不思議な豊かさは何なのだろうと思う。少なくとも盲目の少年が「坊さま」として軒々を回れば、どうにか生かしていってくれる。やがては妻や家を持つことだってできないことではない。そして、どれだけあるか知れない豊かな歌。津軽は、歌の国だったのだ。