蔦紅葉なんだか、つたもみじなんだか知らない。蔦もみじかもしれないし、つた紅葉かもしれない。とにかくそんな合唱曲があって、1970年とか71年頃に鹿児島市立八幡小学校合唱部でたぶん数回聴いている。

数回しか聴いていないのだが、ぼくの中では、とても大切な歌になっている。たとえば、はりつめた秋の大気というイメージを、ぼくはこの曲によって体感することができた。体感ではわかりにくいな。つまり、無意識のうちに感じていたものを言葉や音によってあらためて体の中に取り込み、それが深まるということ。文化というのは、そういうことなんだろう。言葉が化けたり、言葉に化けたりする。単に追体験というのではない。

それから、後年、「凜」という言葉を知った時、まっさきにこの合唱部のことを思い出した。小学生のくせに、かみそりで切り込むような鋭さと、彼らの得意曲そのままのような凛然とした気配をもった連中だった。なぜよその学校の合唱部を知っているかというと、つまり、ぼくらの谷山小学校合唱部の先生と先方の先生が、仲の良い友達だったということ。こちらの先生は、永留弘之先生。八幡小学校は江上先生という方だったと思う。

秋の暮れに、空を見ていてこの歌を思い出した。これから歌詞を思い出してみる。思い出せるのだろうか。

蔦もみじ

蔦の葉をふるわせて
秋の冷ややかな風が渡る

夏の日の眠りをさますような
はりつめた大気の中で
たわむれている子山羊のように
揺れている蔦もみじ

ビルの窓に 城跡の石垣に
奥山の岩に
生きる場所をさがして
ちぎれることもおそれず
のびていくいのち

蔦の葉をふるわせて
秋の冷ややかな風が渡る

なんていう歌詞だった。と思う。

秋は、いろんなことを思い出す。