映画>観なかった理由

こうやって毎晩のように映画を観ていると、まるで映画好きのようだけど、まだそんなに好きじゃないんだろうと思う。その証拠に映画館に行かない。だから友達と映画の話もできない。なぜ映画館に行かないのかというと、単にそういう習慣がないということ。なかなかミコシが上がらない。
なぜ今まで、まったく映画を観なかったのかなと考えてみたら、ひとつ思いついた。わが少年期から青春期にかけて、日本映画は角川映画が全盛だったし、洋画はホラーとアクションが大流行だった。要するにろくでもないもんしかなかったので、当時文学的少年だったワタシは、映画というものをケーベツすらしていたのだろうと思う。
「映画は総合芸術だから、いろんな才能が集まってすごいんだよ」と熱く語ってくれた先輩もいたけれど、観るべきものがないのでは仕方がない。その先輩だって、角川やホラーを観ろといったわけでもないのだろうし。
それに、芝居あり音楽あり映像あり脚本ありの総合芸術だとしても、文章だけで頭の中にバーチャルな世界を築ける小説の方がずっと上等だと思っていたし(これは今でもそうかも)、長編といっても4時間で終わってしまう映画に比べて数週間も夢の中にいられる長編小説の方が、はるかにえらいと思っていた(これも今でもそうかも)。
どうもワカル努力をしなくていいだけ、お手軽ではないかと。さらにいうと、原作を超える映画がなかなかないことをみると、やはり映画なんぞはダイジェスト版なのだなあというのが、少年のワタシの考えだったわけだ。
あらかた、大筋では、今でもそう考えは変わらないのだけど、これもやはり、どちらかひとつ選ぶとすると、という少年期特有の幅のなさからきていることは確かであって、別に比べなくてもいいじゃん。という当たり前のことに、ようやく最近得心がいったのだから、やはりバカは困るわけである。
それにしてもね。昨夜の『ローレライ』はひどかった。あんなにクサい脚本、よく書けるものだと思う。役所広司と石黒賢と堤真一は、それなりによかったけど。