映画>亡国のイージス

こんなに新しい映画を観るのはひさしぶりのような(^_^;)。
最新鋭のイージス艦が北朝鮮と思わしき革命同志の皆さんと呼応した海上自衛隊の志士の皆さんによって乗っ取られ、東京を完全に滅ぼしてしまう最新鋭爆弾を打ち込むぞという話になり、それを阻止するために米国から秘密裏に譲り受けた最新鋭爆弾を、最新鋭戦闘機によって投下しようとするのだが、反乱に立ち向かう先任伍長(真田広之)の働きによって丸くおさまると、そういう話である。
映画としていろいろ甘いところはあるのだが、画をそこそこしっかり作ってあるので、まずまず楽しんで観ることはできた。
ただ、トーキョーが滅びるかどうかという局面にしては、ほとんど緊迫感というものが伝わらないし、そもそも北朝鮮と思わしき革命同志の皆さんが、どのような使命と志を帯びて、かようなことをなそうとするのか、もうひとつテーマとしてはっきりしないものだから、対立構造というか、いわゆる矛盾過程的統合というものが甘くなるわけである。
昔の西部劇だと、インディアンにどのような事情があろうが、彼らは絶対悪であって、彼らをやっつけることそれ自体が映画の骨子であり大前提になっていたわけだけれど、さすがに今の時代に、北朝鮮の工作員(と思わしき人々)であるからといって、ほとんど事情も説明もなく、冷酷で使命には盲目的忠節を果たすというステレオタイプで描かれ、神の報いのごとく全員死亡されても映画として困るわけだ。
こういう敵方の事情は一切考慮されない構図は何かに似ているなと思っていたら、こないだの『宇宙戦争』に出てきたエイリアンだ。西部劇だって、すでに60年代には勧善懲悪の単純な図式を脱していて、インディアンをやっつければそれですむという映画が作れなくなり、映画界とアメリカ人は、その代わりにエイリアンを登場させたわけだけれど、これと同じではどうなんだろうと思う。まあ、あんまりややこしかったりするのも困るけど。
そのような甘さを感じさせつつも、目先のいろいろで最後まで観てきたわけだけれど、最後の最後、宮津二佐の奥さんが墓参りするシーンは、けっこう、はらほれひれはれでしたな。