映画>さよなら、さよならハリウッド

『さよなら、さよならハリウッド』(ウディ・アレン監督/2002)。

かつてオスカーを2回も獲った大巨匠監督が、今は極寒のカナダで脱臭剤のCMロケ。それも途中でクビになって帰宅すると、ただ映画に出たいだけでひっついている若い恋人が、そんなに愛しているという風でもなく迎えてくれる。

ハリウッドのメジャー資本ギャラクシー社でプロデューサーを務める前妻は、不倫の末に同社の経営者と婚約中。その前妻の推薦で、予算6000万ドルの超大作の監督をまかされることになるのだが、心身症が昂じてこのウディ・アレンの監督は、クランクイン初日から失明してしまう。この仕事を逃したら、もう自分は浮かび上がれないということで、目が見えないまま撮影がスタートする。というお話。

メニエールという病気は、体がひどく疲れるもので、今、ワタシの体は肩こりと疲労感がどどっと押し寄せて、ほぼ74歳9か月しかもメタボで鬱病でゲートボールもしないから、コート恋愛にも縁がなく、孤独をいつのまにかさびしがり屋と勘違いしてきざな台詞を並べ立てるそんな自分をみた、というような状況である。今ほど、お年寄りの気持ちがわかったことはない。しかも肩こりからきているのか、右手はしびれ、右肘の関節もマウス肘でおかしい。

とはいえ、ほんとに徹底的かつ圧倒的にネガティブな状態にある時は、なかなか映画を観る気力もわかないので、今のところ「ちょっと凹んでみました」というくらいのものなのだろう。体がまいっているのに心だけ元気というのも変なので、これはこれで自然なことではある。

そういう時に、セレクトしたくなる映画は大体決まっている。それはたぶん、ぼくにとっていい映画なんだろう。癒しとかナゴミとかゆるゆるとか、そういうへなちょこな言葉でモノゴトを粗雑にくくってしまう感性が、ほんとに苦手なのだけど、まあ、方向としてはそういう映画になる。俣野美穂流にいうと寝る子は粗雑ともいう。

で、輝け全日本ちょっと凹み加減で思い出す映画ベスト3ただし本日限定バージョンは、以下のようなラインナップになった。

第1位『三文役者』(新藤兼人監督/2000)
第2位『黄金狂時代』(チャールズ・チャップリン監督/1925)
第3位『ウディ・アレンの一連の作品』

『三文役者』は、荻野目慶子の河内音頭を見たい。桂南光のエラの張った顔を見たい。竹中直人の殿山泰司の純情で無垢で一徹で愚かで見苦しくて美しい姿を見たい。とにかく、あの映画の世界のヒトビトにまた会いたくなる。心がヨワッたりした時に、彼らに会えるというだけで、いいことだと思う。

『黄金狂時代』は、前半の金鉱掘りのドタバタの場面だけでもいいから見たい。あのビッグなんとかいう大男が、頭を打って寄り目になり、記憶を失いながらそこらをさまようシーンだけでもいい。

それから、ウディ・アレン。このハイパー・インテリジェンス・コメディ。自分を笑いのアイコンにすることで人を救う。人は救わなくても、ぼくを救う。困った時は、この人の困ったような顔を見るだけでよい。いくら困っても、あんなに困った顔はしていないはずだ。

昔、白犬の顔にマジックで眉毛を描いたら、ものすごく困ったような顔になって笑いこけたことがあったけれど、ウディ・アレンはあの白犬である。万人に与える優越感が彼の笑いと救いのひとつの実体であることに気づく。しかもそれは一瞬であり、後の大半の時間はその才能と言葉に巻き込まれていく。『監督・ばんざい』の時に、ウディ・アレンとの類似性のことを書いたけれど、われながらちと野暮なことを書いてしまったかもしれない。