十何年か昔、オフクロが「コースケが、コースケが」と言っているので、何のことか聞くと、知り合いの息子にコースケという野球のうまい子がいて、今、PLに通っている。1年から4番を打つような選手でうんぬん、というような話だった。

そのコースケを初めてテレビで観たのは、たぶん1996年の春。アトランタ五輪をめざす全日本とミナソタ・ツインズの練習試合が中継された。デイゲームで、芝生は青いけれど小さな球場。もちろん天然の空。心がなごむような「野球」の試合。

当時、日本生命に進むことが決まっていた福留孝介は、史上最年少の18歳で全日本入り。この試合で、たしかセンターにホームランを打ったはずだ。でもぼくの目は、彼と三遊間を組んでいた井口資仁に釘付けになった。

青山学院の3年生だった井口は、俊足・強打・巧守の遊撃手で、なるほど次世代の野球選手というのは、こんなのかと思わせた。パンチ力があってスピードがあり、身体能力が高い。それまでの野球の役割分担を無意味にしてしまうような、オールマイティの選手だった。

その井口の躍動は、この球場にとてもよく似合った。当時の全日本は、全員がアマチュアで、エースが杉浦正則、四番が松中信彦。今岡誠や谷佳知も、このチームにいた。かたやツインズには、この時すでに3000本近い安打を打っていたポール・モリターがいた。モリターは40歳のこのシーズン、161試合に出場して打率.341、生涯最高の225安打を放っている。そんなスターもまた、どこか牧歌的な雰囲気の漂う球場に、よく似合っていた。

4月1日、福留孝介がシカゴカブスの5番打者としてデビューした。3打数3安打3打点1本塁打。そして、井口もまた同じシカゴにいて、彼はすでにワールドチャンピオンになっている。

あの練習試合で、妙にアメリカのグラウンドが似合う若い二人に、メジャーでやってくれないかなという夢を抱いたものだけれど、いざそれがかなってしまうと、さびしい気持ちの方が強い。

ドーム球場が増えるごとに、鳴り物の応援が複雑に華やかになるごとに、野球人気が下火になってきていることに、誰も気づかないのだろうか。もはや、日本の球場に「野球」が現出する瞬間は、とても稀なことになってしまっている。

メジャーへの才能の流出を防ぎたければ、まず巨人のホームとして、野球専用の球場を作らなくてはならない。チーム名は東京ジャイアンツ。ドームではなく青天井。内野まで天然芝。楽器・太鼓の持ち込みは禁止。試合後のヒーローインタビューも廃止。投手がモーションに入ったら、応援団は沈黙。渡辺恒雄も沈黙。

この当たり前のことができていないから、「野球」を求めて、うまい者から順にアメリカへ出ていってしまう。秋空の下の日本シリーズがなくなった頃から、日本には野球がなくなってしまった。