篤姫を見ること
NHk大河ドラマ「篤姫」を見た。篤姫はいわゆる天璋院であり、「吾輩は猫である」の二弦琴の師匠が、たいそう家柄がいいとかで「なんでも天璋院様の御祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんの甥の娘なんですって」というフレーズで有名である。と思う。
定時に連続ものを見ることが、なかなできない性分だったのだけど、最近はHDDレコーダーで録画が簡単・便利になり、第五話の今日から見てみようかという気になった。というのも、1月から時代劇専門チャンネルで、同じ薩摩幕末ものの「翔ぶが如く」の再放送が始まり、これはきちんと録画をして見ているのだ。あの作品のキャスティングは、それだけで芸術であると思う。大山格之助の蟹江敬三、有村俊斎の佐野史郎なんて、誰が考えついたのだろう。
リアルタイムでさえなければ、ドラマもOKなので、ここ2年ほどの間に、「徳川家康」と「黄金の日々」を、全話見た。ついでに「人形劇三国志」も。
「翔ぶが如く」にも、もちろん篤姫は重要な役で出てくる。が、この時は何しろ寺嶋純子であり、90年の放映だから、どうも計算では当時45歳ということになる。もともと、顔だちの綺麗な人であることは確かなのだが、嫁入り前のシーンが多少苦しかったことは仕方のないことではあり。
今回の宮崎あおいは22歳であるからして、その点は大丈夫なのだった。いや、それどころか、かくまでに愛くるしい女優というものを、ワタシは見たことがない。特にあの、賢そうな丸いおでこなどは、「七瀬ふたたび」の多岐川裕美以来である。のびやかに育った、多少やんちゃなところのある良家の子女というのは、時代劇のお約束ではあるにしても、たいていは紋切りで、つまんない役になりがちのだけど、この人はヨイと思う。
冒頭に挿入される時代背景などを説明するシーンで、ナレーター滑川和雄には、個人的にひっくり返って喜んだ。この人には、宮崎放送局時代、いろいろと思い出がある。滑ちゃん、ご活躍の様子でなにより。
さて、薩摩幕末ものというくくりでいうと、前作ともいえる「翔ぶが如く」と、これから並行して見ていくわけだが、懸案のというか、避けて通れない課題となったはずの薩摩言葉を、あっさりと投げてしまっている。主人公篤姫をはじめ、上級藩士の人々はみな、共通語を話し、西郷吉之助など下級藩士は、薩摩言葉を話すという色分け。ドラマとしては、こんな割り切りもあるんだろうと思う。
今のところ、まだ篤姫が大奥のどろどろに巻き込まれる前の、いわば幸福な薩摩時代の話だからか、全体に少女漫画タッチというか、ロマコメ風というか、時に気恥ずかしくなるような雰囲気。いわば大河につきものの「男泣きの世界」とは遠い。それでも、まあ、嫌みになることはないので、こんな大河もあるんだな、と。
大河ドラマは、「葵 徳川三代(2000年)」からハイビジョン放送になっており、以降、だいぶ画質も撮り方も変わってきた。今回、CATVの地デジチャンネルから、RCAジャックでHDDに録ったものを(ここがネック)、HDMIでつないでプロジェクター視聴してみたのだが、画質はいわゆるフィルムライクで、質感はきめ細かい傾向。
照明のあて方も、映画的というか、いかにもスタジオで撮りましたという感じではなくて、大きなセットで、自然光に近いライティングを強く意識したもので、陰影のグラデーションが豊かだ。町並みのセットで、遠くを歩いている通行人の装束なども凝っている。このあたりは、ハイビジョン・大画面対応ということなのだろう。
うちのCATVのハイビジョンは、HDMI出力がついていないため、録画した時点でフルハイビジョンではなくなってしまうわけで(ひょっとすると放送時点でもそうかもしれない)、いっちょUHFアンテナを立てて、地デジをダイレクトにプロジェクターに映してみようかと思わせるくらいのクオリティだ。
同じ薩摩を舞台にした「翔ぶが如く」と比べると、あらゆる意味で対極の作りになっているといえそうなのだが、画期的に進歩した映像を見ると、なるほど時代だなあと思う。