チャンス

『チャンス』(ハル・アシュビー監督/1979)。

誰にとってもそうであるように19歳というのは、ちょっと特別な年だ。

ぼくにとっては1979年がそうなのだけど、例によってこの作品の存在すら知らなかった。大体、世の中で何が起こっていたのかよく思い出せない。行くあてもすることもないプータローだったのだから仕方ないけれど、思い出すのは白黒テレビで見ていた大相撲ダイジェストと、その頃コンデンスミルクをお湯に溶いて飲むのに使っていた、青くて大きなマグカップくらいというのも情けない話ではある。

短い家出とか、雀荘での徹夜とか、同じようにやることのない仲間との、あてどない時間とか、とにかく今日なんだか昨日なんだかあさってなんだかわからない時間を過ごしていたのだから、1979年としての記憶がなくても仕方ないのだ。

ちなみにこの年のアカデミー作品賞は『クレイマークレイマー』で、もちろん観ていない。ノミネート作品は『地獄の黙示録』、『オールザットジャズ』、『ヤング・ジェネレーション』、『ノーマ・レイ』だったそうな。自慢ではないが全部観ていない。

さて、『チャンス』である。ひろすけさんからいただいたDVDで観た。子供の頃から庭師として育ち、雇い主の家からほとんど出たこともない主人公チャンスが、突然の主人の死によって世間に追い出されるところから物語は始まる。

さまざまな偶然と誤解の末に、チャンスは財界の大立者と親しくなり、大統領を悩ませ、ソビエト大使に一目置かれ、テレビに出てコメントしては、アメリカ中から圧倒的な支持を受ける名士となる。

これが普通のアメリカンドリームなお話とちがうのが、この人のアタマがあったかいところなのだ。「馬鹿はものに動じないてえますが」と、おなじみの落語のフレーズがあるけれど、世間に対する感受性が欠けているので(そのかわりほかのものへの感受性は飛び抜けて豊かなのだけど)、超然として穏やかな大人物のような印象を与えてしまうことになる。

パターンとしては与太郎ものなのだけど、もちろんアメリカ映画に与太郎はいないから、ご隠居さんとか棟梁の政五郎とかいった、馬鹿を承知でそれを取り巻く人々もいないわけで、話は馬鹿とまともの間(それを純粋と世俗と呼んだってかまわないけれど)を、真面目な緊張感をもって行ったり来たりしつつ、ヒューマニスティックな示唆が見え隠れするといった方向になってくる。

主演、ピーター・セラーズ。この空前絶後にして前人未踏の与太郎の演技。それから、シャーリー・マクレーンが大変可愛くてよい。

深い洞察もしようと思えばできるのだろうけれど、とりあえずこの不思議な感じのする映画は、不思議なままに楽しめばよいと思う。