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『巴里の屋根の下』(ルネ・クレール監督 1930 仏)。
長いこと仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事であり、映画を観るなどもってのほかであって、他人様が作って用意してくれた2時間を受け入れるゆとりが、まったくなかった。精神的にはスサンでいたとしかいいようがない。仕事は充実していたけど、モノゴトはバランスなのだ。
で、いろいろ迷ったあげく、ひさしぶりのわが家上映を、この映画にした。幸いにして初めてであり、まったく先入観なく観たのだけど、歌だけは知っていた。知っていたどころか、子供の頃から大好きな歌だった。
歌詞として、パリの屋根の下でニニは幸せを得た…という字幕が流れるのだけど、ここはひとつ、西条八十三の訳詞でいくべきでしょう。メロディを知っている人は、歌ってください。
巴里の屋根の下
懐かしい思い出に さしぐむ涙
懐かしい思い出に あふるる涙
マロニエの花咲けど 恋しの君いずこ
巴里の屋根の下に住みて 楽しかりし昔
燃ゆる瞳 愛のことば 優しかりし君よ
鐘が鳴る 鐘が鳴る マロニエの並木道
巴里の空は青く晴れて 遠き夢をゆする
ぼくはこれを、小学生の頃に加藤登紀子で聴いてしまって、以来、頭から離れないくらい好きな歌になったわけです。それにしても西条八十三、こうして映画で原曲を聴いてみると、やはりおそるべき才能。
映画は、そんなにたいした事件が起こるわけでもない。人の心に深く刻まれる台詞があるわけでもないし、ことさらに迫ってくるものや昔の傷を思い出させるようなこともない。
でも、これはたいへん洗練されて、いい映画ですな。人の心をえぐるような野暮なことは一切しないわけです。
1930年。映画はサイレントからトーキーへ移る時代なのだけれど、ルネ・クレール監督は台詞を最小限にしか使わない。街角やダンスホールで流れる音楽、汽車の通過音、ガラス越しといった、つまり「何か話してるんだけど聞こえない」設定を連ねて、ほんとうに必要なところだけを台詞としてしゃべらせる。このあたりの粋さといったらありません。
映画が始まってすぐに、「天井桟敷の人々」を思ったのだけど(特に似ている部分はなさそうなんだけど)、マルセル・カルネ監督は、この映画で助監督デビューしていたそうです。
追記:
エンディングの、アパートの煙突?がアップになるシーンに、突如として深い無常感を感じたことを思い出した。そしてこれが75年前の映画だったことをあらためて思う。あれらの滑稽や怒りやロマンスを演じた人々も今はなく、おそらくそんな巴里も今はないのだろう。波が寄せ、泡が消えてゆき…。