国力というのは、お金や戦車の数じゃなくて、無駄なことを一所懸命やってる個人としての馬鹿がどのくらいいるかが勝負だ。

たとえば北朝鮮には、あんまり個人的な馬鹿がいそうにない。つまりその国の現時的文化というのは社会が許容した無駄の量のことだ。これは人の生存や社会の存続に関わる多様性の温床となることにおいてのみ価値があり、それが直接役立つかどうかは無視されてよい。

なにがしかの方向に純化してしまった国家が早晩滅びることは歴史が証明しているが、それを救うのが社会的文化的多様性であり、その基盤にあるのがあらゆる無駄と、それを実行する馬鹿である。この無駄と馬鹿を、かつてこの国では数寄と呼んだ。

私も、社会を支える馬鹿になりたい。