2012年1月16日

青島に思うこと

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もう20年も前のことになる。宮崎に移り住んでまもなく、パームスというフリーペーパーを創刊することになった。フリーペーパーだからすべての経費を広告でまかなう。

それ以前にもいくつかフリーペーパーを作っていたから、何ページの本を何部作れば、いくらお金がかかって、ページ割り的にはこうなるということはわかっていた。そこを見込まれて、創刊時だけの約束で編集長を引き受けた。結局、2年もそれをやることになった。

オールカラー64Pを実数で108000部。これをもれなく無料宅配する。このビジネスモデルを考えた時、地元の業界の人たちはキチガイかと言った。それについて否定はしないけれど、この本はさらに部数を増やしてまだ生き残っている。

まともにやれば広告絡みのページばかりで、純粋な記事などは作れない。第一、社員も寄せ集めだからそれを書く人間もいない。それでも無理を聞いてもらって、毎号、何かちゃんとした記事を載せることにした。広告マンがなめられるような本は作りたくなかったということもある。

創刊号に掲載したのが、青島漁師の話だった。朝、暗いうちから港を出て、はえ縄でタチウオを釣る。無線から漁師仲間の声が響いていて、なんだか大声で演歌を歌っている人もいた。青島沖6マイル。朝焼けにピンク色に光るタチウオが見事だった。

宮崎に来て、さほど時間も経っていなかったけれど、青島漁師という響きには特別なものを感じていた。記録に残っているだけで1000年以上、おそらく古墳時代かもっと昔から、島全体が神として祈りの対象だった青島は、綿津見神と山幸彦を祀る。おそらく日本最古に近い海の神である。

その神様のお膝元で、これもまた同じくらいに古い時代から漁を営んできた人々があった。その漁師たちの米びつが、青島沖にある黄金の瀬である。

今でこそGPSのおかげで、ぼくにでもそこにたどりつけてしまうが、数海里も沖に出て日によっては岸もよく見えない中で、青島漁師たちは代々、山立てを伝え、豊かな海の幸を、そして獲りすぎないほどに獲って、長い歴史を刻んできた。

そんな宮崎の人たちの思いが、青島獲れとか青島漁師という言葉に特別の意味を与えていたのだろう。よそ者のぼくにも、それはなんとなく伝わっていた。そして、憧れた。

その青島の港に、船を舫うことになった。なんという晴れがましさだろうと思う。とにかく早く青島神社に詣でて、挨拶をしておこうと考えている。

写真撮影:深澤猛志

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