自民党はどのように壊れたか
めったに政治のことは考えないのだが、昨日はちょっと考えた。引き続き、今日も考えてみる。特に意味もメッセージもない。今の時代に、地方に生きる者の備忘のようなものだ。
自民党をぶっ壊すと叫んで5年半、政権の座にあった小泉首相。その事実上の禅譲によって政権を渡された安倍首相率いる自民党は、先の参院選で歴史的大敗を喫した。世間はこれを、安倍さん個人の資質のなさとか、政治とカネの問題、また5000万人が「行方不明」になっているという社保庁問題に対する国民の怒り、あるいは構造改革の副作用としての格差拡大などが原因となった、と考えているようだが、実はもっと実際的な理由がある。
自民党が、「ほんとうに」ぶっ壊れているのだ。
まず上の方からみていくと、小泉時代の5年半に派閥がぶっ壊れてしまった。これには、内閣に派閥の代表を送り込もうとしても門前払いされる小泉流の人事による派閥力学の崩壊ということが、まずある。そして、派閥の領袖のうち誰一人として、総裁候補としての小泉純一郎に対峙し得なかったという人材不足のこともある。
かつて派閥の領袖は、選挙のたびに数十億円のお金を集めたという。今、10億円の集金ができる人はいない。自然に派閥の求心力は薄れるところへもってきて、派閥力学による入閣の道もあやしくなったとなれば、自民党内のネクストキャビネットは崩壊する。それは政治のダイナミズムである権力闘争の希薄化でもある。簡単にいうと、小泉さんの独裁体制となった。
さらに、小泉改革によって地方の集票のよすがとなっていた公共事業は、この10年でほぼ半分になり、これまで自民党を支えてきた建設業界に十分な見返りをすることができなくなった。補助金も減らされているから、農業団体についても同様だ。
それどころか、いわゆるグローバル戦略で大規模農家のみが生き残れるような仕組みを推進したことで、大多数の小規模農家の人たちは裏切られた思いを抱いた。地方においてこの問題がいかに重いか、東京にいてはわからないだろう。
東京は、食べ物も、水も、電力も、空気さえも自ら生産することはできない。ただ消費するだけだ。そして付加価値という帳簿上の価値だけを日々生産している。日本の政治家は、この矛盾を統合する役目を本来担っているのだが、自民党が自分でそれを壊してしまったともいえる。
自民党という政党は、有権者との目に見える形での契約によって票を集めてきた。補助金を自在に扱える政権党としての特権が、その構造を永く支えてきたわけだが、小泉さんはそれをほんとうにぶっ壊してしまった。
ぼくがそれを最初に実感したのは、小泉総理が誕生するかしないかという頃に、ある選挙に関わった時だ。保守系候補の選挙事務所というのは、特に地方のそれは、何度か選挙を経験し、地域での人望もある数人が事務局長など中枢となり、その友人や後輩たちに声をかけてチームを作って汗をかくことが多い。もちろんその人たちは無報酬だ。
昼食に炊き出しのおにぎりと、手製の漬物、若干の揚げ物が出るくらいで、彼らは葉書の宛名を書き、看板を立て、電話をかけ、集会の動員を行いと、ひいひいと汗をかいている。支持者や支持団体の思惑は別として、前線の彼らの奮闘ぶりは純粋なものがあるといっていい。雰囲気としてはスポーツに似てさえいる。事実、選挙は数年に一度、互いのエネルギーと感情をぶつけあうお祭り、娯楽という地方は多い。
そして事務所には、ひっきりなしに支持者が出入りする。特に何の用事があるわけでもなく、ただ見物にきて世間話をする人が、そのうちの、まあ8割。残りの2割は、昔からの支援者、スタッフのOB、どこかの社長などといったちょっとエライ人たちで、何か意見を言ったり、相手陣営の動向について、ナニゴトかを述べて帰ったりする。特に田舎の選挙事務所となると、なんだか年配者が、ひさしぶりに顔を合わせて茶飲み話をする、集会所のような雰囲気もなくはない。
いざ選挙になってしまえば、巷間、想像されるような政治と業界にまつわるような生臭い話などは、裏でも表でもまず出ない。その余裕もないし、しようとしても話し相手になる人もないだろう。よーいどんで走り出してしまえば、あとは勝つことしかないのだ。
異変は5年前に起こっていた
ぼくが関わったその選挙事務所も、そのような雰囲気の中で活動を行っていたのだが、ある日、データをエクセルで集計していた一人が、異変に気づく。それを口にすると、スタッフが皆、どうもこれまでの選挙とはちがうと言い出した。
「票が読めない」のだ。田舎の選挙は、どこどこ地区の誰それさんはあの候補、誰それさんは前はあっちだったけど、どうも最近、地域後援会のあの人と折り合いが悪いらしいから、あっちに行くかもしれない。などという、それこそシャベルで地面を掘るような細かで具体的な情報の積み重ねによって、少なくとも基礎票の部分はほぼ正確に読むことができた。
それによって、たとえば決起集会の会場を決める。1000人集まらないと格好がつかない会場を押さえておいて、300人しか集まらないのでは、候補者の意気は出鼻をくじかれることになる。
ところが、どうやっても読めないのだ。確かに口では支援する、応援するということを言ってくれるのだけど、その目の光や、握手に真実味がこもらないという。長く選挙をやっていると、そういうことには敏感になるものなので、スタッフたちのそうした報告には、非常に危機感があった。
以前は、ある会社の社長が「うちはあの人で」となると、従業員はほぼ追随した。だから、いわゆる推薦状に意味があったのだが、その年以来、選挙事務所に無数に張り出される推薦状は神社のお札ほどの意味ももたなくなった。どうみても紙切れにしか見えないのだ。
投票日が迫ったある日、ひとつの仮定が真実らしいことを知る。「この町には存在しないはずの浮動票」が、おそらくは4割、へたをすると半分が浮動票かもしれないという事実。これでは、従来の選挙戦術は空回りをするしかない。
田舎の主要産業は建設業と農業で、自民党はそこを巧妙に押さえてきたわけだが、公共事業の削減による建設業界の疲弊、農産品輸入自由化や補助金削減、加熱する地域間競争など、状況の悪化による農業そのものの衰退といったことが急速に進んで、地盤となるべき人々の生活基盤そのものが疲弊、あるいは破壊されつつあったのだ。
この二つの主要産業は、自民党というつっかい棒が「ぶっ壊され」たことによって、集票マシンとしての機能もぶっ壊れていった。その変化は、少なくとも5年前には、はっきりと目に見える形で、それも劇的な形で起こっていた。
「引きしめ」という敗因
今回の参院選で落選されたある方が、選挙戦序盤に、「組織の引きしめ」ということをマスコミに書かれた。当人がそう語ったのか、マスコミが事務局長あたりから、そのような言葉を引き出したのかはわからないけれど、その時点で、勝負あったと思う。あれは、選挙ディレクターが(いるならば)候補者に渡すはずの「避けてほしい言葉リスト」の最初に持ってこなくてはならないフレーズだった。
すでに、もはや存在しないもの(組織)へ、目に見える約束(引きしめ)をやろうとしたところで、虚像に空手形を渡すようなものだろう。それに気づかない現実認識。そして、組織の上に立って政治を行ってきた人であればこそ、引きしめなどという、個より組織を重んじるような言葉は慎まなくてはならなかった。
それによって「一応、該当する組織にいるが内実は浮動票の人」は、引きしめられてたまるかと反発し、ほんとうに浮動票の人は、この言葉を目安に反対候補に投票しかねない。むしろ、新人候補のように、自分一人で自分の脚だけで、自分の支援者を一人ひとり獲得していく姿勢が必要だった。
いい勝負ではあったので、この方針と認識の転換が早い時期にできれば、勝てたかもしれない。とはいえ、長い目で見れば、これも焼け石に水であって、自民党の崩壊が止るわけではない。
いや、さらに遡ると、森さんが国民的ブーイングの末に総理の座を去った時に、自民党はすでにぶっ壊れていたのだともいえる。だから、小泉さんのような天才的変人に託すしかなかった。
自民党が、「地方の政党」である以上、地方が衰退すれば自民党も衰退する。小泉さんは都市型の政治家であり、都市の論理で動きながらも、官僚や敵対勢力といった仮想敵を次々に見つけて、そこに視線をそらすことで地方を巻き込み、またたく間に壊してしまった。
それによってもたらされた従来の集票システムの崩壊は、ちょっと立て直す手だてが見えないほどに深刻だ。もはや地方の自民党は、ぶっ壊されたというよりも立ち腐れの状態に近い。そして対立軸である民主党は、自民党以上に未熟であり、本格的な二大政党制の形は、まだ見えてこない。
しばらくは、選挙の顔としてのイメージだけで総理総裁が選ばれていく時代が続くかと思ったら、それもまた、安倍さんの反動で、あまり大したことはしなさそうな代りに、馬鹿をやらかすこともなさそうな福田康夫さんに風が吹いているという。
日本という国の出口を見つけることが、自民党再生への道に直結しているはずなのだが、どうも話がそこまで深まるのは、ずいぶんと先のことになりそうな気がする。

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