2007年7月 5日

富土に浮かぶ日

九州の南の、そのまた東の外れ。宮崎というのは、亜熱帯気候の東部海岸線から九州山地に連なる西部山岳部にかけて、ぐぐっと左肩が上がった地形になっているわけで、そこで海釣りをしようと思えば、この下がった右肩のもっとも低くなったあたりに、フナムシと一緒にへばりつくことになる。

おおざっぱにいうと、県北部は大分県蒲江周辺に続く磯場、中部は、ほぼ定規で引いたような直線が続く砂浜、南部は山がすとんと落ち込んだような磯場だけれど、北部とのちがいは、ここには黒潮がまともにやってくる。そのせいで、たとえばメバルとアイナメとか、そういう魚がいない。カレイという名の魚はいるけれど、これはヒラメのことで、ほんとのカレイは、ほとんどいない。

南部の海岸線は、日南海岸と呼ばれる。かつての新婚旅行の名所である青島から、堀切峠、サボテン園、鵜戸神宮を経て日南市街地へ入り、そこからさらに、都井岬や幸島がある串間市へと続く。

ここいらは、美しいけれど、かなりキビシイ土地である。山が迫り、断崖絶壁やら荒磯やらが連続し、おっとひと足踏み外せば、そのまま、どぼんと海に落ちてしまうというような、そんな地形だから、もちろん田んぼなどは作りようもなく、海にしても天然の入江などはほとんどないから、太平洋の荒波が、寄せるがままに寄せているわけで、港なども作れず、およそ人が暮らす手がかりとか足がかりとか、そういうものが、相当に欠如している。

今でこそ1時間のドライブで駆け抜けてしまう海沿いの道だけれど、昔は、日南から宮崎へ行こうと思えば、まず船であり、船が都合できなかった人は、険しい山道を辿らなくてはならなかった。海沿いの集落などは、離島なみに孤立し、不便だったことだろう。

そうした日南海岸の一角に、富んだ土地と書いて富土(ふと)と呼ぶ、小さな集落があった。富土といっても、開けた農地があるわけでもなく、小舟が20艘も泊まれば満杯になってしまうほどの港があるきりだけれど、それでも周囲の険しさとかキビシサを考えると、相対的に富んだ土地だったのだろうと、それを人たちは誇りもしたのだろうと、思う。

何より、ここには珍しく海水浴場になっている美しい砂浜があり、両脇の岬に守られて、波も静かだ。このあたりで、波が静かであるということが、どんなにありがたいことか。ゴムボートで漕ぎだしてみると、それがよくわかるわけである。

そういうわけで、僕は富土に浮かんでいた。

午前8時に、妻が『キスを食べたい』とつぶやいて1時間半後には、もう僕は海にいたわけである。仕事もあったし、考えなくてはならないことや、処理すべき事柄や、交渉ごとや、短期的な問題や、中期的な厄介ごとや、長期的な悩みが、このところ心を塞がせていたし、背中を痛ませてもいたから、こういう時に釣りに出かけるというのは、あまり楽しいことではない。

楽しいことではないけれど、釣りに行かなかったから解決するわけでもなく、また、釣りに行ったからといって、状況が悪化するわけでもない。のびやかな、清朗な釣りができるかどうかわからないけれど、とにかく、海に浮かんでみよう。

日南海岸を南下していって、途中、ボートを降ろせるところに、とにかくボートを降ろしてみよう。そこで、えいやと砂を蹴って、海に漕ぎだしてみよう。いいところがなければお気に入りの串間市一里崎があるさと、そういう気分で、出かけてきた。

初めての場所にボート釣りに出かける時、まず、釣りものを考える。今の時期なら、キス。それからマゴチ。アジも回っているかもしれない。根を見つければ、カサゴやカワハギも釣れるかもしれない。沖磯や沖根には、メジナやマダイがついているかもしれない。そういう想いを巡らせるのが、実は一番の楽しみでもあるし、その楽しみが大きければ大きいほど、必然的に道具が多くなる。

今回は、少しちがった。なんでもいいから、綺麗な海に浮かんでいたいという欲求が先にきた。だからキス竿だけ持って出かけた。この潔さに、自分でちょっと気分がよかった。

梅雨明け十日。空は、きらきらと晴れ渡って海からの東風がそよいでいる。こんなに美しい季節に、こんなに青い海があって、そこに僕は浮かんでいた。棲めば都。この土地を富土と名づけた人たちの、ぎりぎりに差し迫った価値観がすこし胸にきた。僕は、もっと考えてみなくてはならない。人が生きたり、暮らしたりする中で、幸というのがどういうものであるのかを。

半日、釣り暮らして、キスとマダイの子が釣れた。妻と子は、その魚に歓声をあげて僕のまわりを4度ほども回り、その夜のうちに、天婦羅と刺身と汁になった。


1996.7.25

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