富土を渡る風
快晴、微風。海蒼し。山々はもえたつような新しい緑。そして、誰もいない湾。
半年ぶりに、富土(ふと)の海に浮かんでいる。日南海岸の荒々しい磯場が続く中に、ぽっかりと明るい砂浜がひらけたここは、左右をちょっとした岬に守られた波の静かな海水浴場。磯料理を出す店や民宿などもいくつかあり、観光地というほどではないにしても、夏になると、それなりに活気のあるところだけれど、それでも、やはり早春の海はひっそりとしていた。
目を凝らすと、民宿のおばさんが布団を干しているのが見える。時が止まったような明るい午後に、沖から寄せる小さなうねりに身をまかせていた。
釣り人というのはおかしなもので、冬になるとキスを思う。春になると鮎を思い、夏になるとアジを思う。まだかまだかといいながら、一年を過ごしているのかもしれない。
そんなわけで、キスはまだかな、と出かけてみた。宮崎のように貸しボート屋があるわけでもなく、ゴムボートで海へ出ようなどという釣り人もめったにいない土地では、情報というものがない。情報がないから、情報にふりまわされることもない。そのかわり、季節ごとに釣れるべき魚が釣れ、釣れるべきでない魚は釣れないという、とても明確な答えを、海自身が出してくれる。いったい釣りは、いつから情報と道具がなくてはできなくなってしまったのだろうか。
あても情報もないけれど、ちょっとボートでも出してくるかな。という気持ちの中には、まったく誰のものでもない自分だけの高揚と、誰もいないところで、まっさきに釣れたらさぞ楽しかろうという期待と、その値打ちにひきあうだけの量のリスクが、常にある。
そして、そのリスクを打ち消してしまうだけの素晴らしい海が、つまり釣り人の煩悩など関心はないねと、巨大な太平洋にまともに開けたところから、打ちのめされるように大きな気を送ってくれる海が、そこにはある。釣ってなんぼの釣りもあれば、釣っても釣らんでもひきあう釣りもあり・・・。
浜に降りた時、潮の香りがした。特に何の匂いというのでもない、はるかな沖から研ぎに研がれて、ぴりぴりしている無垢の、まっさらの海の気が、それでもつんと胸をついた。潮の香りは、どんな匂いよりも実体がなく、高速に、激しさをはらみながら胸に届く。それは港の匂いでも海藻の匂いでもなく、黒潮そのものの気だ。
波を幾度かかわして、砂を蹴る。あたふたと座板について、オールを漕ぐと、たのもしく推進する。水底が、夏の頃よりもずっときれいにみえる。岩も海藻もない底は、風紋のような模様をつけた砂地で、水色はどんどん深みを増していく。
振り返ると、いくつかの段をつけたグラデーションで沖に向けて青が濃くなり、しまいに水平線へと溶け込んでいく。その緑から碧へ、碧から青へ、青から蒼へと変わる海を、オールを濃いでまっすぐ沖に出ていく。沖は果てもない。
いったい、キスはいるのかいないのか。いるようでもあるし、いないようでもある。確実に釣りたければ、深みと根が点在する野島の湾へ行くべきだが、富土の砂浜をみた瞬間、冬の間、求めていた陽光と白い浜と、山々のもえたつような新しい緑が目に飛び込んできて、がまんならなくなった。
それにしても、これはなんという景色だろう。宮崎市内の小さなマンションの部屋で、ちまちまと仕事をして、人並に、生きることの煩悩を抱え、あいつの言葉や、こいつの仕草や、パソコンのうなりや、返済や、もろもろや、あれこれや、それや、これやで、結局、たいしたこともせずに、ただじたばたと、もがいていたのがさっきまでのことで、もうここには、ちがう世界があり、そこに当たり前の顔をしてなじんでいる自分が、ここにいる。
オールを漕いで、湾内をあてどなく漂う自分こそ、今、この瞬間の自分であって、冬の間にふやけてだらしなくなった肉体も、それなりに、海の気の中で必要な仕事をしてくれている。まだ、こんなことができる力があったではないか。
あらゆることをやってみた。浅場、根のまわり、岸から沖へ、水色の変わるところを水平に、立ち止まってたんねんに、餌を変え、仕掛けを交換し、流しを変え・・・。
この広い富土にキスがいない。この広い富土の海にキスがいないということは、つまりどういうことなのだろうか。
初夏を思わせるような陽射し。上着をぬいでTシャツになると、みる間に風に乾いて、かすかに変な匂いがした。街暮しの汗の、無臭透明ではなく、もっと体の芯から出てくるような匂い。海に削がれて、ようやく正体を現した、街暮しのオリの匂いだったのかもしれない。
1997.4.1

コメント
そうですか。ぼくも義父が死ぬ時に、五ヶ瀬でようやく二匹の鮎を釣って届けたことがありました。あの時くらい、自分の釣りの下手さに困ったことはなかったです。
Posted by JUN at 2007年7月 7日 01:10
嗚呼、引き寄せられて自分の釣りを再確認するような文章です。
もう僕は釣り師の端くれでもなくなってしまったけれど。
でもね。今日は鮎釣りをしました。
慕ってた、可愛がってくれてた先輩がもうすぐ死ぬのです。
恥ずかしくないサイズの野鮎を6尾届けました。
自分のための釣りはもうあまりしないと思う。
大切な人の為に竿を出すんだと思う。
ちょっとセンチメンタルジャーニー松本伊代17歳(^^;)。
Posted by しん at 2007年7月 5日 20:24
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