落語>文珍、市馬、権太楼、圓蔵、鯉昇、扇辰
最近テレビで観たやつを、ふたたびまとめて。
「御神酒徳利」柳家権太楼(「落語の極」 BSジャパン)
落語ブームが起こるまで、寄席を第一線で支えた爆笑王は、まちがいなくこの人だった。冷え切った落語会を、長いこと引っ張ってきたこの人は、今でもトップランナーの一人であることは確かなのだけれど、その地力や功績からして、今のこの時代に、特にメディアの上においては、十分な光を放っているとはいえないような気もする。なぜなんだろう。
最近の権太楼には、何かイカリのようなものを感じることがある。去年だったか「シブヤらいぶ館(NHK)」の中川緑アナウンサーの拙い前フリに、「あんなのなら、ない方がいいです」とマクラで爆発してしまったのを見た。まったく同感であって、あの番組は高座の「出」や「引き」の楽しみを根こそぎ奪ってしまうような構成になっている。
噺が始まる前に、どうでもいいインタビューをして、「さ、どうぞ」といってセコな舞台に噺家を上げ、一席終わると、まだ余韻もさめないうちに「ありがとうございましたー!」といって中川アナウンサーが駆け寄り、またつまらないインタビューを始める。どうにもあれが興ざめで、ここ1年近くは見ていないのだが、権太楼はそのことに怒っていた。またそれは、落語ブームなどというものへの怒りだったのかもしれない。
「御神酒徳利」桂文珍(「日本の話芸」 NHK)
また「御神酒徳利」。こないだから鯉昇、権太楼と、たて続けに三本もこの噺がオンエアされた。ブームなのかな。鯉昇がよかったからということもあるのかしら。文珍の噺は、例によってサービス満点で文句ないのだけれど、またもやNHKの構成の粗雑さが気になった。噺の途中で、突然「解説」と称するコメントが入る。「口で算盤の音を出す文珍…」だと。ふざけちゃいけない。NHKの担当プロデューサーは、寄席で見習いでもさせてもらって、高座のいろはから学ぶべきだろう。真打ちの高座の放送に、他人がコメントをかぶせることがどれほどのことなのか知らないで、番組を作ってはいけない。
「味噌蔵」柳亭市馬(「落語研究会」 BS-i)
市馬の味噌蔵。安定感があって、なかなかのものでありました。ただ、何回もリピートして観るかというとちょっと微妙。HDDからDVDに焼いてとっておくか、そのまま消してしまうかが、ぼくにとってひとつの分かれ道なのだけれど、市馬さんは微妙にかすって…、というのが、今のところのポジション。笑顔がよくて、出の良さは指折りなんだけどなあ。
ちなみに、絶対に残したいのは、圓生と喬太郎と三三。小朝、小三治、談志、圓蔵といったところは、もちろん残したいのだけれど、放送そのものがあまりない。ほかには鯉昇、圓太郎、昇太。花緑は今のところ全滅で一本も残っていない。
「二番煎じ」瀧川鯉昇(「落語研究会」 BS-i)
江戸と申しました時分、この冬になりますというと、火の用心の夜回りというものがありまして、後には鳶の者だの、町内の若い衆が出てやったそうですが、ごく始めの頃は、お店の主人やら役付の者やらといった旦那衆が組を作って、みずからこの夜回りというものをしていたそうでございます。これは、その時分のお話で。
鯉昇の「二番煎じ」、寒いさなかを、いやいや番屋から出ていく旦那衆の描写が大変よろしいです。侍は、あまり武張ったところがなく、ごく柔らかい方の侍で、これもこれで味というものなのでしょうな。酒の呑み方が、ちょっと親指を含むような形で、見ていて気持ち悪かったのが難といえば難。あのあたりは生理的に受け付けない人もいるでしょうが、何かの型なのかな。
「厄払い」入船亭扇辰(「落語研究会」 BS-i)
前日、新潟で稽古のつもりで同じネタをやったら、まったくウケずに客席が静まりかえり、傷心の思いで打ち上げに出たら余芸でウケてさらに傷つき、送りの車中で黒門町の「厄払い」が流れていて、決定的に傷ついたというマクラは大変面白かった。でも、客席は好意的であるにも関わらず、本編はあまりウケず。大体、マクラから本編に入った瞬間に、声の調子が変わって、おやと引かせてしまう感じもあった。
それにまたこの噺、こんなにむずかしいものだとは思わなかった。与太郎ぶりでサゲまでもっていくむずかしさに加えて、今の時代に与太郎根多をやるむずかしさもあるのだろう。いい味を持ってる人なので惜しい。もういっちょ、別のを聞いてみたいと思う。
「穴泥」橘家圓蔵(「落語の極」 BSジャパン)
年末からこっち、圓蔵の音源はずいぶん聞いたのだけど、動いてるのはひさしぶりに見た。感心するのは、この人、芸風ほどいい加減な噺家ではないということ。おなじみのマクラ、小咄でも、いつ聞いてもどこか新鮮だし、安易に枯れてなんかいない。志ん生以来のスラップスティックな芸風は、他の人にはないわけで、もっと高座を見たいと思う。

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