川相内野手の引退に思う
川相昌弘内野手の引退が、ちょっと心にふれた。ものごころついて以来のアンチ巨人(の隠れ長嶋ファン)であったぼくは、川相がいくらバントをうまく決めようと、それがいつも完璧であればあるほど、たとえば敬遠の四球が決まるほどの興味しかなかった。
ノーアウト1塁で彼が出てくるということは、キャッチャーが打者の外側に立ち上がるほどの意味しかなくて、その数十秒後には状況が1アウト2塁になる、とただそれだけのことだった。そこに「野球があったか」と問われると、「あんまりなかったかもしれない」と答えるしかない。
バントの職人だとか仕事師だとかいわれたけど、他人様が自分の「仕事」をこなすところを、わざわざ観に行こうとは思わない。仕事なら、誰だってやっている。(もっとも厳重な警戒の中でバントを成功させるという興味は成立する。だが、川相の技術が卓抜すぎてなかなかそうはならなかった)
ただ、この人、キャンプでは抜群に目を引く人だった。バントではなく守備練習である。華麗な守備、といってもジーターやエクスタインのような人間離れしたものを見せるわけではない。それでも、ボールがグラブに収まる、その収まり際のところで、ボールが消えてしまうようなスムーズさがあった。この人の守備練習は、つい見とれてしまっていた。そんな内野手、ここ20年ほどの巨人では他に誰かいただろうか。
篠塚、仁志といった名前が浮かぶけど、ちょっとタイプがちがう。仁志などは身体能力の高さからくる躍動感だけで人の目を引きつける選手なのに、プレー自体があまり印象に残らないのはとても不思議なことだ。
巨人の伝統なのか、長嶋監督時代のものなのかはしらないけど、ぼくが長嶋を観にキャンプに出かけていた頃(何しろ近所なので)、昼の休憩時間にランチタイム特打というものがあった。客がスタンドでのんびり弁当を食べている頃、主力打者をゲージに並べて打撃練習をさせる。一種、顔見世というか、相撲でいえば土俵入りというか、ファンサービスだったのだろう。
アナウンスなどは球団職員がぼそぼそとやるくらいで、ほとんど何の盛り上げもないのだけど、それがむしろ気持ちよかった。民放の局アナのような人がわあわあやっては、キャンプの楽しみがそがれてしまう。宮崎の冬の太陽の下、強打者がバットを持ってゲージに向かって歩いていくだけでよかった。
ある年は、清原とマルティネスと江藤と松井を並べて、さあ今年の四番は誰でしょう、というようなショーを見せてくれたりした。いや、あの年は松井はまだ三番の格の打者だったのかな。
とにかく、その強打者そろい踏みによる豪華な打撃練習の脇で、ちょうど三塁側スタンドの真ん前へ(真ん前と書くのは、ぼくの目の前だったからだが)、川相が出てきた。ランチタイム特打の時間には、弁当を食べているべき選手なのだけど、その川相がグラブを持って出てきて、「ランチタイム特守」を見せてくれたのだ。
いや、そのうまいのなんの。あきらかに客に見せることを意識した守備練習なのだけど、守備で人を楽しませるプロというのは、その時初めてみた。「おっしゃあ」「あらよっ」「だめだあ」などと工藤公康のようにわめきながらやるわけではなく(40過ぎてからの工藤の守備練習も、それなりに面白い)、静かに照れたような微笑を浮かべながら、次々にタマをさばいていく。ショートの守備位置の距離ではわからないグラブさばきをスタンド際の至近距離で見せてくれていたのだ。そのグラブの、皮の匂いがするような近さだった。
うーん。ありがとう、川相。ぼくは君のことを、何にも知らなかったよ。と反省しつつ、この選手が好きになった。素人が逆立ちしてもできないことをやってみせてくれるのが、プロである。したがってプロはアマチュアの延長線上にあるのではない。そういうことをわかっていた野球選手だったと思う。

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