本>寄席はるあき
『寄席はるあき』(安藤鶴夫著 河出文庫 2006)。68年に刊行されたものが、今年になって文庫化。やっぱ、落語ブームとやらはほんとの話らしい。
安藤鶴夫は直木賞作家だということだけど、子供の頃からバアヤに負われて寄席に通った寄席マニアであり、斯界のご意見番のようなものでもあったらしい。なんとか先生がほめてくだすった、なんちう図がこの世界にはあったものだそうだけど、そんな先生の一人だったのだろう。落語や講談を題材にした芝居を書いたり、ラジオ番組を作ったりもしている。
寄席ファン、落語ファン必読の書であることは間違いなくて、とてもいい本だと思う。ただ、この人の文章ときたら、読点だらけでものすごく読みにくい。
こんな感じ。
落語家にも、二つの流れがある。ひとつは、昔から、代々の落語家が、なんども、なんどもしゃべっては、いらないと思うところを、けずり、また、あたらしく、工夫したところを、加えたりして、つぎの人たちに、また、伝承していった、いうところの、古典落語を守る落語家である。
あるいは。
<雛鍔>というはなし、しばらく、聞かない。誰がやったのかは、忘れたが、よく、聞かされた。たいてい、売れない、古い落語家で、こどもごころに、ああ、またか、と思った。八五郎が、棟梁に連れられていった、大名屋敷である。
これを300ページほど読まされると、頭がおかしくなる。まがりなりにも言葉などというものをこちゃこちゃいじりまわしてご飯を食べている身としては、ほんとにどこか、体の奥の方に深刻な影響を受けはしないかと思われるほどの違和感だった。
なんか、どっかでこういうの読んだなと思ったら、幸田露伴の随筆がこんな感じではなかったか。安藤鶴夫は明治末に生まれた人だけど、寄席の話だけにあえて明治を懐かしんでこういう文体にしたのか、もともとこういう文体の人なのかは、さだかではない。
とにかく、内容の面白さと文体の違和感が激しくせめぎあうのに苦しみながら、どうにか一晩で読み終えた。ただ、この本、うっちゃっておけない要素がもうひとつある。金子桂三という人の写真が素晴らしいのだ。おそらく本格的な寄席写真としては、この人がパイオニアなのではないだろうか。
薄暗い楽屋。火鉢の前で膝をくずし、煙草を片手に話し込む若き日の志ん朝。その色気。その気配。うーん。ほれたほれた。

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