哀愁のピュア・オーディオ
「サキソフォン・コロッサス」を再び聴き、その後に2003年にリリースされたザ・グレート・ジャズ・トリオの「サム・デイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」を聴いて、あらためて思った。ジャズは、音を聴くものである。ジャズにおいて音と音楽を明確に分けて考えられる人がいるなら、説明してみてほしい。どうだどうだ。なのである。
グレート・ジャズ・トリオは、ぼくの耳には相当ハイファイにきこえた。それも、音の芯はしっかりと出しつつ、決して薄くならないままに、全体のクオリティが高い。ようにきこえた。
もっとも、この耳があてにならない。わが左耳は、数年来のメニエールによる難聴によって高音がまったく聞えなくなっており、中音も非常にあやしい。だもので、サキソフォン・コロッサスのような位相的に単純な音源でも、センター定位が狂っていることを白状しなくてはならない。
このことは、現代のオーディオにおいては絶望的な状況を意味する。現代のオーディオ、特にスピーカーの思想は90年代以降、小型キャビネット、小口径ユニットによる高度な音場再生を志向する向きが強くなってきた。大型システムであってもその方向は同じであることは、たとえばJBLの家庭用ハイエンド機が、4344のような大型バッフルへのランダムな4ウェイ配置から、仮想同軸であるバーチカルツインのK2シリーズに移行したことでも象徴的だ。
つまり位相をなるべく正しく再現することが重要で、理想は(レンジを無視すれば)小口径フルレンジを、なるべく小さな箱に入れて鳴らすことだ。その点だけをいえば、ぼくが使っている長岡鉄男設計のスーパースワンは、世界最高を名乗ってもおかしくないスピーカーシステムであるといえる。
このシステムで、音場込みで録音した優秀な音源を鳴らすと、時に空中にコッペパンが浮かぶような小さくソリッドな音像が出現する。ふわりとした霧の向こうに、雪をかぶった富士の頂が見えてくるような音場感、森の奥深くから何者かが立ち現れてくるかのような奥行き感は、ほとんどオカルトに近い。これは誰にでも聞えるものではないらしく、訓練によって聞えるようになる人もあり、まったくわからない人もいる。
ただし、こうしたシステムは、最低限聴く側の耳の周波数特性が、左右のバランスがとれていることが前提になるわけで、ボーカルが、きちんとセンターに定位しないようでは、もうあかんのである。ピュアオーディオの楽しみを思うほどに、かつて体験した夢のような音場がすでに遠くなったことに胸が痛む。ベートーベンもかくやと思われるほどの悲哀なのだった。
救いは、ないでもない。音場再生をあきらめて、普通に聴くことだ。もともと、音場をうまく表現するほどの優れた音源というのは非常に少ない。しかも、機器のコンディション、気候、当方の体調、精神状態などにも左右されるので、ベストな音場再生をコンスタントに行うというのは、簡単なことではない。ほとんどの人は、一生体験しないままに終わることだろうから、まあ、あきらめもつく。
さらに進めると、ピュアオーディオを捨てて、ビジュアル&オーディオに向かえばよい。音像、音場というのは人の頭の中にできる虚像であるから、スクリーンのセンターで俳優がしゃべっていれば、音量バランスがどうであれ、きちんと音はセンターに定位する。これは、おかしいくらいにそうなる。
思えば、はかないことに夢を抱いてきた。趣味というのは手段が目的となることだそうだから仕方ないか。

コメント
しんさん
うーん。ぼく、ヘッドフォンはまったく知りません。高校の頃、ちゃちいヘッドフォンを使っていて、STAXとかゼンハイザーとか憧れはしましたけど。定位は頭の中になりますよね。スピーカーは空間定位だけど。
ソファに寝っ転がって本を読みながらなんて、いいかもしんない…。今の時代、むしろこっちかもしんない。という気はします。
STAXは、一度なくなって社員有志によって復活を遂げた会社ですよね。クオリティ勝負でヘッドフォンだけでやっていこうというのは、すごいものだと思います。
Posted by JUN at 2007年2月15日 18:39
突然ですが(^^;)。
ヘッドホンが欲しいのです。
「小口径フルレンジを小さな箱に入れて鳴らす」ってヘッドホンじゃありませぬか。
AKGの中級機種(だと思う)を15年ほど使ってきましたが、流石に買い換えの時期かと。そんで家族にうるさがられるスピーカーからの再生はやんぴにして、ヘッドホンの内側に籠もろうかなんて。
STAXどうでっしゃろ? ゆくゆくはPCに繋ぐ可能性もあり(^^;)、4万円くらいのセット物にすべきか、もうちょっと上のにすべきか?
http://exp4.hp.infoseek.co.jp/
Posted by しん at 2007年2月15日 09:08
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