柳家喬太郎のこと
柳家喬太郎のCDを買った。とりあえず今回は2枚。収録は、「白日の約束」「結石移動症」「純情日記横浜篇」「純情日記渋谷篇」。
この人、平成12年に林家たい平とともに真打ちに昇進した時から注目していた。このくらい才能のある人が、二人同時に昇進するというのは近来希なことであるなと思っていたら、やはりぐんぐん伸び、「当世人気噺家高座の七人」にカウントされるまでになった。いいことである。
たい平の高座は一度だけ「反対車」を聞いたことがあるけれど、喬太郎はネット配信された「純情日記横浜篇」しか知らなかった。それ一発でファンになった。先日、TBSチャンネルの落語研究会で「粗忽の使者」をやっているのを観て、ちょっと音源を集めてみるかという気になった。
以前、志ん生が、
噺てえものは、親の財産なんぞをたんまりもらって、ボーッとなんとなく育ってきたような人が聞いても、ほんとうの落語の面白好味というが、それがわかるもんじゃないんですよ。その意味からいえば、ほんのある一部の人が聞いて喜ぶべきものなんですね。世の中のウラのウラをえぐっていく芸なんですから…。
というようなことを言っていたけれど、今、このウラのウラをえぐる凄みということでいえば、やはり喬太郎が思い浮かぶ。この人の場合、観察と描写が面白鋭すぎて、古典の枠ではおさまらないから新作をやっているんだと大見得を切っても、そこそこ納得できてしまいそうだ。そんなことは言ってないけど。
ただ、ちと受けすぎでもある。ああいうマニアを周りに寄せ集めた受け方は、ちょっと危険な気もするのだが(CDを聞いていて、その場の雰囲気で過剰に笑いすぎる客が気になった)、若いんだからしょうがないか。それよりも、落語という古典芸能を現代につないでいく役割の大きさの方を評価すべきなんだろう。単に新作をやればそれができるわけではない。
かたやたい平は、とやはり比べてしまうのだが、林家一門であるせいだかどうだか、客と名がつけば子供だろうが団体だろうが、とにかく受けねば帰らせないという了見を感じる。だが、この人もフラの人ではなく、才の人であることは明らかであって、そのあふれる才を本気で林家流にぶつけてくるところが快い。一門の総帥になってしまったこぶ平より上であることは誰の目にも明らかだ。と、ぼくの目には明らかなのだが、そこんとこどうなんですかい。
喬太郎が好きなのは、そして大変に受けてもいるのは、落語なるもの、落語家なるものへの憧れが、彼の噺の底にあるからなんだろう。新作の評価が高いが、たぶん江戸落語が好きで好きで噺家になったはずだから、これからどんどん古典もやるはずだ。そういうものへの憧れがない人は噺を語る資格がない。ついでにいうと聞く資格もない。と立川談志もいっている。
もういっちょ加えると、この人、仕草が大変いい。それも、どこか落研の学生がうれしがって名人の所作を真似てみるといったような青さが残っているあたりが、落語愛というものを感じさせていい。ぼくは落語は録音こそが至上という論に、かなりくみするものだけれど(先代金馬はもちろん、圓生ですら録音だけを聞いていた方が面白い気がする)、喬太郎のあの愛嬌のある仕草はお金を払ってみたい気がする。

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