映画>独裁者
『独裁者』(チャールズ・チャップリン監督/1940)。
この映画の凄さは、制作年にある。ナチスドイツがポーランドに侵攻し(1939)、フランスをも侵略した年(1940)。そしてその年の暮れには太平洋戦争も始まる。
このヒトラーの最盛期に、この映画を撮る凄さ。そして「敵国」の独裁者を徹底的に痛罵したこの映画を撮り、戦後には戦争そのものの意味を問う『殺人狂時代』を撮ったことで、チャップリンは「味方」であるはずのアメリカからもアカのレッテルを貼られ、国を追われることになる。結局、国家というものは、あちらもこちらも同じということなのだろう。
アメリカという国は、ほかの多くの国と同じように、史上たくさんの恥をかいてきたが、このチャップリン追放事件もまた、国を挙げての恥だった。そして、この事件も含めて、チャップリンのみが筋を通したことの強さと正しさが浮かび上がってくる。
終盤の民主主義的大演説については、蛇足だとか青臭いだとか批判する向きもあるようだが、冗談ではない。あれはチャップリンの単なる肉声としての強さということと同時に、あの言葉がヒトラーと同じ顔をしたユダヤ人の床屋の、その二役を演じた同じ人間の口から語られたことに意味がある。
チャップリンが初めてドタ靴を脱ぎ、サイレントに決別したこの映画は、まさに言葉の映画だともいえる。ヒンケルの、あの10分ほども続く猛烈なわけのわからない演説は、ドイツ語なのかどうかもさだかではないのだが、あれが「どう聞いてもドイツ語だが、ドイツ語ではない」演説であるとすれば、藤村有弘もびっくりなのだ。
映画が終わって、しばらく立ち上がれなかった。この人の途方もない強さに、65年後のニホンのミヤザキで、あきれかえってしまったのだった。

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