映画>黄金狂時代
今年の3月15日はのっぴきならない日であって、大きなコンペと確定申告が重なった。しかも定期媒体の送りの真っ最中で、新しい仕事の立ち上げもあり、四つまとめて同時進行で気が抜けない状況なのだが、あと15分で「その日」になってしまう。
今、こうやって書いているから、山は越したのだろうか。どうなんだろうな。
そんなサナカに、昨日、『黄金狂時代』(チャールズ・チャップリン監督/1925)を観た。こんな時だからこそ、チャップリンの顔をみたくなったのかもしれない。
1925年のサイレント版と、それに音をつけた1942年のサウンド版があるらしいのだけど、観たのはサイレント版の方。
ぼくはこの映画について、「最大の見せ場は、山小屋に閉じこめられ飢えに苦しむ男たちの極限描写だ。特にチャーリーが自らの靴を食べてしまうシーンは、おかしいという以上に、鬼気迫るものを感じさせる。」(大アンケートによる洋画ベスト150/文藝春秋社編)なんてことを平気で書く、映画ライターたちの鈍さが理解できない。
そんなところが最大の見せ場であるはずがないじゃないか。面白いシーンではあったけれど、チャップリンは、靴を食べることをみてほしくて、1年3か月と莫大な費用をかけたっていうのだろうか。大体、ビッグ・ジムの、あの超巨体でもって、どうやって飢えの極限描写をするというのだろう。
まだ、「ドリフギャグの原型をみよ」とか書いてくれた方がましなのだが、「靴をうまそうに食べるんだぜ」という戦前から続く『伝説』に、尾ひれをつけるしか書きようもない人々なのだということがわかったからいいか。これからは、そのつもりで読もう。
さて、この映画。切なくて哀しくておかしい、超一級の傑作。特に、ビッグ・ジムが大変よかった。「頭を打ちつけたビッグ・ジムは記憶をなくし、あてどなくさまよっていた」という字幕のシーンでの、彼の「あてどない目線」には、ソファの上でもだえ笑った。
笑いどころとしては、山小屋が崖の上で傾いて谷に落ちそうになるシーンがクライマックスなのだけれど、冒頭から小技の効いた笑いが散りばめられて、ひたすらおかしかった。
それから、女という生き物の底意地の悪さを、あれくらいうまく描いた例はないのではないだろうか。意地悪さと無邪気さが、時に同居するから困るのだが、そういうところを嫌ったり逃げたりしないで、愛でるくらいになることが男の成長というものであることを、中年となったワタシは知っているわけだけれど、若き日はそういうわけにはいかなかった。
この作品のチャップリンのように。

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