2006年2月10日

構造的世界としてのノア

ノアにあって新日にないものを考えてみた。先に書いたエース、それから社長レスラーの存在、時宜に応じて放たれる物語性、ここへきてタイトル=最強の図式すら手放して、力皇なぞをチャンピオンにして平然としているのもすごいと思う。やっぱりあいつじゃだめかとなると、次には田上明を王者にしてしまった。どうなってるんだ。

こういうイレギュラーをいくらやっても安定感が崩れないのは、ノアという団体の試合には、ゆるぎない構造的世界があるからだ。まず前座というものが確固として存在する。その華は、永源遥(60)VS百田光雄(57)の宿命対決。宿命とはいっても、とりあえずどうにかプロレスができるほどの体力しか残っていない二人なので、志賀賢太郎や川畑輝鎮、青柳政司らとのタッグなのだが、それなりにこの道で長年食ってきただけのものは見せるわけで、永源のツバ爆弾などという定食も用意されている。

これら前座レスラーは決して卑屈にはならないし、あえて上をめざすというような不粋なこともしない。なにしろ年老いたジャイアント馬場が、ラッシャー木村を相手に繰り広げていた、あの素敵な全日本の前座の血脈を継いでいるのだ。むしろ、彼らがしっかりと見世物としてのプロレスを守ってくれている、その磐石の土台の上に、ノアの屋根やら柱やらが立っているのだといえる。

力が落ちた時に、ファンのために自分を見世物にすること。それは、馬場にできて猪木にできなかったことでもあり、したがって新日のレスラーは誰もそれができない。今になってその差がノアと新日の姿に反映されているのだとしたら、皮肉なことだ。

そうした前座戦線に、時おり泉田純がからむ。泉田というのは元幕下力士のおとぼけレスラーなのだが、時にこいつけっこう強いのではと思わせるシーンもないでもない。さらに佐野巧真などというクセモノが出てくる。井上雅夫というナゴミ系もいる。こいつらはとてもトップを張れるレスラーではないのだが、たまにセミファイナルくらいには出てきて、それなりの味を出す。佐野にいたってはタイトルマッチすらやらせる。

そして小川良成、本田多聞がいる。小川などは90キロそこそこの体なのだが、一時はヘビー級のシングル、タッグのタイトルを持っていた。本田はアマレスヘビー級で日本史上最強とまでいわれた器で、回転地獄五輪(パート7くらいまである)という必殺技をもつ。しかし、ヒトが良くてヒザが悪いのでトップに出ることはない。そういうキャラだ。

そしてジュニアが出てくる。KENTA、丸藤正道、金丸義信、杉浦貴の4人を中心に、いろいろ始まる。これはもう手放しでみていられる、非常にレベルの高い試合が約束されている。

ヘビー級のもろもろ戦士として、モハメド・ヨネ、森嶋猛、力皇猛、斎藤彰俊がいる。かつては高山善廣もこのクラスにいたし、最近は外様として鈴木みのるまでいる。このあたりの多士済々ぶりが新日には決定的に欠けているのだろう。加えて外国人レスラーも魅力的な人が多い。ドノバン・モーガン、マイケル・モデスト、スコーピオ、リチャード・スリンガーなんて常連組は、それぞれ小味が効いて素晴らしい。彼らに小川良成などがからむと、よく持ち味を引き出して、なるほど小川というのは天才的だと思わせたりもする。

そして三沢、小橋、秋山、ちょっと落ちて田上が一応四天王となっている。

要するに強かろうが弱かろうが、うまかろうがしょっぱかろうが、一人ひとりに持ち場と持ち味を与えて、ある町の、ある体育館で、午後6時半から始まる3時間弱のドラマをきちんと成立させつつ、1年2年という時間軸の中でも魅力的な物語をつむいでいけるのがノアという団体だ。

かたや、新日だと前座クラスのレスラーまで試合後のマイクなどという余計なことをする。しかもまずいことには、トップ級と前座のコメントが同じなのだ。さらに、試合内容や繰り出す技まで同じであったりして、これではもうまったくプロレスが成立しない。「強さへの憧れと幻想」というテーマをいつまでも手放さないものだから、こういうことになるのだろう。それがベースであることは悪くないのだが、その見せ方がなってないのだ。新日にも個性のある選手はいるのだが、ただ単に個人がたまたま持つ個性にとどまっている。

たとえば、怪我から復帰したばかりで気の毒だけれど、志賀賢太郎などというレスラーは、あのしょっぱさでは新日には居場所がないと思う。井上雅夫や川畑輝鎮にも、たぶん居場所がない。もしかすると、斎藤彰俊や佐野巧真すら存在が許されないかもしれない。百田光雄や永源遥などはもってのほかであって、とっくの昔に引退させられているだろう。

そんな彼らでもノアでは輝く。一人ひとりを大事にするということもあるのだろうけれど、レスラーたちが、それぞれの世界観をもって存在しうるのがノアという場なのだろう。そこには、序の口から始まって序二段、三段目、幕下、十両、幕内と続く大相撲にも似た、それよりももっと巧みな構造的な世界が構築されている。

しかも、その構造は閉鎖系のそれではなくて、むしろなんでもありのスイング感すら備えている。中堅に位置づけられている井上雅夫を選手会長にして、その立場から秋山準あたりを架け橋にひと仕事やらかし、「負けたら井上京子になるマッチ」などというものすら実現させてしまう。

モハメド・ヨネがちょっといいとなると、すぐにセミくらいに抜擢して、ひとつの物語を背負わす。ある日突然、佐野巧真のローリングソバットに神秘性が備わり、三沢が悶絶したりしてタイトルマッチに発展する。それを横目に秋山準は敏感に業界全体を見渡して、内外に向けて見事なタイミングで新しい価値観を発したりする。そういう爽快な開放感をもった構造系だから、客にとっては玉手箱だ。

それを誰がやっているのか。誰あろう三沢光晴だ。三沢がすごいというのは、こういうことなのだろうと思う。

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