1999年3月18日

なんのためにHPを作ったかのこと

テキストベースのコミュニケーションボードであるニフティのフォーラムが、何のためにこんなに苦心してホームページを作らなくてはならないのか。と、問うのも野暮なのだけれど、ここまで苦労してしまうと、野暮を承知で考えてみたくなる。そうか、考えもしないで作っていたのだなということが、今、ひとつわかった。

97年に、ニフティのフォーラムが一斉にHPを作ったわけだけれど、その時はいわゆる紹介HPという性格のものであって、とりあえずフォーラムの紹介ができていればよしというものだった。

それから時間がたつにしたがって、さすがにつまらないという定評がたちはじめ(更新しないのだから当たり前だけれど)、一方で会員のスキルはどんどん上がってきて、フォーラムの面目丸つぶれという状況があちこちで起こったにちがいない。少なくともFFISHでは起こった。

だから・・・・・・、ということなら、気は楽なのだけれど、どうももっと本質的なというか、ややこしい事柄がありそうな気がする。

1987年から続いているニフティは、結局パソコン通信の時代を一人勝ちで生き抜いて、ほっとしているところにインターネットの大波がやってくるのを見た。

沖磯でクロダイを釣っていて、津波がくるのが見えたくらいのよるべなさだったにちがいない。何しろ、あのコンピュサーブがAOLに食われるのに、さほどの時間を要しなかったというのが、パソ通界サバイバル中の、ニフティの認識だったはずだ。

で、ニフティのインターネットシフトが始まった。これは正解だったと思うけれど、何もかもがスムーズにいくわけでもない。これから、いろんなところで矛盾が吹き出してくるのだろう。

商行為の禁止はどうするのか。ニフティの安心感につながっている管理責任を、どうやってインターネットの常識としての自己責任の原則へとつないでいくのか。フォーラムは文化なのか、そうはいっても商売なのか。そもそも、専用の通信ソフトが必要な状況をどうするのか。

などという大きな話の余波でもって、私がHTMLリファレンスブックを眺めつつ、今、こうしてチャーハンを食べているという状況があるわけだけれど、私にしたところが、こうなった以上、FFISHの先人たちが残したコンテンツや場の良き雰囲気というものを、ニフティの中だけにとじ込めておくのは惜しいと思う。

出せるものなら、どんどん外に出していきたいし、そうした器ができたことで、FFISHの書き手たちに、書き下ろして後に残すという感覚が生まれてくれば、会議室に、むしろ新しい風が吹くのではないかと楽天的なことを考えていたりもする。

どうなるか、わからない。わからないけれど、巨大な孤島になりそうだったニフティが、とにかくも船を手に入れたのだから、漕いでみることくらいはしなくてはならない。

そういうわけで、砂を蹴って、出船なのである。
せえの。よいやさっと。

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